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第41回50歳からロシア語を学ぶ②

大学を卒業して四半世紀たっている。「おばさん」と呼ばれる年頃になって久しく、私は「お母さん」にはならなかったけれど、よのなかの多くの「おばさん」や「お母さん」は子育てをしたり家事をしたり、人によってはお勤めに出たりと忙しく、学校に通っている...
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第40回50歳からロシア語を学ぶ①

幼なじみの早苗ちゃんとの再会を機に、私はロシア語を習い始めた。 早苗ちゃんの勤めるJIC旅行センターでは、ロシア語教室が開かれていた。そこへ通えば、毎週、早苗ちゃんと会える。それにロシア語ができるようになれば、私の「クロテン取材」は充実する...
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第39回『悪魔の飽食』合唱団と中国・黒竜江省ハルビンへ

ここまで書いてきたように、一時期の私はロシア極東地域へ頻繁に出入りしていた。最初のきっかけは『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館・2014年)を書くためだったが、前掲の書が出版されたあとも、自力でロシア取材を続けていた。にわか研究...
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第38回ルースキー島(Русский Остров)

「いよいよ日露平和条約締結か?」 時は第二次安倍政権、私の周囲のロシア関係者内でもときどき聞こえていたその話が、幾度かの首脳会談をへて「これはひょっとして、ひょっとするかも・・・」との盛り上がりを見せていた頃、私はルースキー島を訪れることに...
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第37回マースレニッツァとロシア極東連邦大学・函館校

シベリア鉄道で移動中に風邪をひいた。 排気ガスにまみれた空気を掻き分けて、姿をあらわした浦塩本願寺跡のくすんだ光景――それ以外の記憶がほとんどない。 そういえば、空港のチェックインで並ぶ列にて、サハリンから来た女の子と知り合った。 日本語教...
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第36回初めてのウラジオストク

シベリア鉄道の終点ウラジオストク駅にぶじ到着したものの、私はフラフラだった。 駅に着いたのが早朝で、迎えにきてくれたガイドさんとクルマでホテルへ向かったが、その間どんどん具合が悪くなっていった。全身ゾクゾクしたのは幽霊さんのせいだけではなか...
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第35回シベリア鉄道

「博物館のほかにもあちこち観光した」 と言いたいところだが、このときの私はハバロフスクでの多くの時間を、カフェなどでじっと過ごした。いっぽう、寒さに強いT君――ハワイ島でも山上で天体観測していた――は、巨大コートを着て街中へ繰り出し、書店な...
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第34回ハバロフスク郷土誌博物館とシソーエフ動物園

初めてのハバロフスクはあまりに寒く、ほとんどなんにもできなかった。 博物館を見学するのが、せいいっぱいだった。 「ハバロフスク郷土誌博物館」はたいへん立派な建物で、外見より中がかなり広い。入口の展示を見ただけでクタクタになった。そこは動物た...
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第33回関東軍の終焉~地獄の収容所・マガダンへ

ラーゲリの先輩は、長い暗闇をどう生きてきたのだろう―― 私は父から聞いた彼らの話がその後も忘れられず、なんだか他人事とは思えなかった。とくにXさんが働いたという「マガダン」が気になった。 「Xさんに、会ってみたいな。会って、マガダンの話をき...
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第32回強制収容所マガダンとフィル・ウッズ

昭和の時代に日ロ(日ソ)貿易業界を跋扈していた、ラーゲリの先輩。彼らが父の周辺にいたことまで前回書いた。その一人であった会社のOさんはおとなしい人で、ラーゲリの先輩たちのなかではロシア語が得意なほうではなく、「ダモイ」(家に帰ろう)くらいし...