第40回50歳からロシア語を学ぶ①

幼なじみの早苗ちゃんとの再会を機に、私はロシア語を習い始めた。
早苗ちゃんの勤めるJIC旅行センターでは、ロシア語教室が開かれていた。そこへ通えば、毎週、早苗ちゃんと会える。それにロシア語ができるようになれば、私の「クロテン取材」は充実することまちがいなし、この「ファーロード」はおそらく生涯のライフワークとなるであろう。いつか死ぬ直前にでも、『ミルコのファーロード』が後世に残るような大著となり出版されることを夢見て、私はロシア語習得への決意を固めた。
たしか司馬遼太郎さんだったと思うが、「私のロシア語は辞書を引ける程度だが・・・」というようなことを書かれていて、きっと控えめにおっしゃっているのだろうけれど、ステキだなぁ、自分もちょっとそんなことを言ってみたいと思う。

早苗ちゃんはロシア語がペラペラだった。
私と離れていた40年のあいだのどこかで猛勉強したはずであり、きくと東京外国語大学のロシア語科を卒業後ロシアへ渡り、モスクワ放送のハバロフスク支局で働いていたという。だんなさまもロシア人で、美しい一人娘さんがいる。そんなわけで、彼女はとてもロシアに詳しかった。
クロテン取材を始めて以降、ロシアの件に夢中になっていた私は、早苗ちゃんからハバロフスクの話をきくのが楽しくてしかたがなく、大人になってもこんなに楽しいことがあるとはおどろきだったが、そういえば小学生の時分から私は早苗ちゃんに、そして彼女のファミリーに、影響を受けていた。

早苗ちゃんと妹の陽子ちゃんと

まず、早苗ちゃんのご両親は広島出身で、彼女の家には『はだしのゲン』(汐文社)全4巻が揃っていた。
私はゲンに夢中になり、全巻読み終えるとまたアタマから読んだ。何度も繰り返し、読んだ。10歳くらいだったが、ゲンバクとはなんとおそろしいもので、自分の国になぜこのようなことが起こったのか、人びとをこんなに苦しめた戦争ってなんだ?と思っていた。そののち、編集者となった私にはなんと作者の中沢啓治さんとお会いするという日がやってくるのだが、この話はまたの機会に。
そして早苗ちゃんの家には、モルモットがいた。「モル」と「モコ」という二匹のモルモットを、家の中で飼っていた。私の家でも犬、鳥、鯉、ザリガニ・・・いろんな生き物を飼っていたが、早苗ちゃんちに遊びに行くようになって、モルモットにも夢中になった。
おそらくウサギに近いのだろう、モルモットも臆病で優しい生き物だった。ちょっとした身辺の変化に弱く、衝撃や音にびくびくしていた。こんなに激しく繊細な生き物を実験台にして私たち人間は薬や化粧品を作っているのだと知ったときには、背筋がゾゾゾとした。
早苗ちゃんファミリーは、玄米菜食をしている一家でもあった。お母さまがリウマチを患っておられ、そのための食事療法だったと思われる。私自身もガン治療のとき玄米菜食の食事療法を実践したが、あのときの早苗ちゃんちでは、それが日常だった。
色の白い、スラっとした、優しいお母さんだった。早苗ちゃんと40年の時を経て再会し、数年前に亡くなったことを聞いたときには、玄米の夕ご飯を思い出して、悲しくなった。

そんな早苗ちゃんと、ハバロフスクへ行くことができたのも、私のロシア語熱に拍車をかけた。早苗ちゃんはハバロフスクを「ハバ」と呼ぶので、私もそれにならった。T君と行ったときは、「突撃!極寒体験」であったが、早苗ちゃんとの旅は、日程にも余裕があり、「ハバ」で暮らしているような気分を味わった。
ちょうど長い冬が終わって、春の訪れが感じられるころだったが、まだコートが必要だった。

現地に住んでいただけのことあって、早苗ちゃんはとても詳しい。
一緒にレストランで食事をして、私の気に入った料理が「毛皮を着たニシン」(селедка под шубой)という名前だと聞いたときは、感激した。その名は、まさにクロテン道をすすむ私のための一皿。細かく切ったニシン、茹でたじゃがいも、ニンジン、ビーツ、マヨネーズで和えた茹で玉子がミルフィーユ状に重ねられているサラダで、ニシンが毛皮のドレスを着ているように見える。以降、どのお店に行っても、日本に帰国後も、ロシア料理のレストランへ行ったときには必ず注文している。

長い冬が終わって、春の訪れが感じられるころだったが、まだコートが必要だった。
早苗ちゃんが懇意にしているというワロージャ一家が、私たちをあたたかく迎えてくれた。ワロージャさんはハバでマットレスなどベッド用品の会社を経営している社長さんで、美しい妻のジェーニャと、ヴェーラという可愛いお嬢さんと三人で暮らしている。
私たちはまずワロージャの会社に行き、そこからクルマで、アムール川の湖畔へ、連れて行ってもらった。そのときはじめて、アムール川の水に触れた。手に掬い取ってみると透明でサラサラして、とても冷たい。4月の上旬で、氷は解け始めたところだった。
「見よ、アムールの波白く」の、あのアムールがこうして私の掌に――自分がこの地に立っている感慨で、胸がいっぱいになった。

川の眺めの先に、ワロージャさんの邸宅はあった。
木造の洒落たペンションのような、落ち着いて住み心地のよさそうな立派な家だった。
そこでソバの実を使ったジェーニャの手料理やお菓子をいただいた。
飲み物は「こけもも」のリキュールのカクテルで、私はこの味をとても気に入った。
彼らと食卓を囲みながら、私は早苗ちゃんの話す軽やかなロシア語に、あこがれをもって聴き入っていた。ああ、自分も早苗ちゃんのように話せたら、どんなに楽しいことだろう・・・そう思うと帰国後に始まるJIC旅行センターでのロシア語教室への意欲がいっそう湧いた。

<つづく>

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