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第25回毛皮のコート

「・・・俺、ハバロフスク行きに、付き合ってもいいよ」 テレビ局勤務のT君が、忘年会の帰り際にそう言い出したところまで前回書いた。 救世主、あらわる。 マイナス30度の世界にたったひとりで足を踏み入れる勇気のなかった私だったが、これで一気にプ...
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第24回ハワイ島の思い出

モスクワ・サンクトペテルブルクから戻ってまもなく、友人7人で忘年会をやった。 私がそんな大人数の集まりに行くことはめったにないが、このメンバーとは何年も続いている。 メンバー構成はテレビ局、出版社、広告代理店、通信社、などに勤める仕事を通じ...
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第23回ビザをとる

ロシア大使館の近くにある飯倉のキャンティで、おひとりさまランチをとっている。 会社をやめて以来、質素な暮らしに徹している私が、都内の名店にいるのにはわけがある。 なぜならビザをとるのに苦労した。なので「ひとり打ち上げ」をしているのである。 ...
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第22回ロシアへ行こう

「ロシアへ行こう」 その思いつきは、私の心を明るく照らした。 キラキラした粉が、天から降ってくるような気がした。 さっそく旅に向けた資料を集めようとした。 ところが気をつけて見てみると、ロシアについての出版物は、他の近隣諸国と比べて驚くほど...
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第21回旅のはじまり

私を「ミルコ」と名付けた父が出入りしていたのは、国名でいうとロシアでなくソ連である。ソビエト社会主義共和国連邦。ところが、ソ連は30年ほど前に消滅している。 ある日、国のえらい人が「我が国は消滅しました」と宣言したのだ。 信じがたいことであ...
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第20回ロシア語の名前②

「ミルコ・・・・・・?」 「ロシア語なんだ、へえ~」と感心される。 大人になった今では「可愛い名前だね」と言ってもらえることもある。 けれど、子どもの頃は、違った。 「ソ連なんだ・・・怖いね」というようなことを言った子がいた。それから私は、...
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第19回ロシア語の名前①

2009年3月に会社をやめた。 そのあと私は病を得て、しばらくのあいだ闘病生活をした。 退社で通勤がなくなり、独身なので実家に帰り、20年ぶりに両親と暮らすことになった。 年をとり、体の不調はあるにはあるが、仲良く暮らしていた父と母、彼らの...
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第18回「つぎのひと、くる」

都心暮らしをやめてだいぶたったいまとなっては、「上京」はひとつのイベントである。 ある日、ランチミーティングがあって、六本木一丁目駅で下車した。 約束の時間には少々早く、かといってお茶を飲むほどの時間はない。 六本木一丁目駅直結のビルには、...
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第17回タイガでデート

夢を見ないのは、ほんとうに久しぶりだった。 夢を見ずに目が醒めて、自分のしたことが、信じられないほどの驚きをもってたちのぼってくる。 私はビキン川のほとりの、ほぼ垂直に切り立った山に登った。 とうとうクロテンの森に入ったのである。 ビキン川...
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第16回生き物たちの大量死

かつて多くの日本人が海を渡った。 ある人は仕事を求めて。ある人は戦争をしに。 戦争の悲惨さが語られるとき、つねに人間が主役であるけれど、戦争では人間だけでなく無数の生き物が傷つき、死んでいる。 <戦争の世紀>であった20世紀には、クロテンは...