第28回真冬のハバロフスク

真冬の夜のシベリア鉄道。
窓の外はえんえん続く、白く凍りついた森。
「こんな世界があるのか」と息をのむほど、どこまでも冷たく、美しい。
外気は零下30度、森の奥深くはもっと冷えているだろう。
そこが、テンのすみかだ。
 
かつて人びとは森を進んだ。
東へ、東へ、テンを求めて。
テンが欲しい、だから真冬でなければならない。
パリの貴婦人が目の色を変えて欲しがるクロテンの毛皮は、いちばん寒い時期でないと獲れないのだ。
毛皮を求めて人びとが進んだ道をたどって、テンのすむタイガに私も踏み込んでみたい。
しかしこのように凍っていては・・・テンに会う旅は、果てしなく遠いと思われた。

まずは飛行機で、成田からハバロフスク空港へ。3時間弱で着いた。先週行った広島より、移動時間が短い。
これほど近いのに、空港に日本人はいない。
ロシアは「近くて遠い国」といわれている。
なかなか荷物が出てこないので、待合にはロシア人とおぼしき人びとがわらわらと集まった。
おどろいたことに、真冬であるのに毛皮を着ている人がいない。高齢のご婦人だけである。上着を着ているほとんどの人が、化学繊維でまにわせているようであった。いちばん寒い時期のハバロフスクで毛皮が使われていないとなると、シベリアじゅうから追われ殺され尽くされたクロテンたちの、長い長い不遇の時代は、終わったのだろうか。
人間たちは成熟し、学び、知恵を出しあい、自然にたいする意識の高まりと科学技術がもしもクロテンを救っているのであれば、それはよいことである。
さらに目をみはったのは、ロシア女性たちのおしゃれぐあいだ。
細身のジャケットとパンツに高いピンヒールのブーツを合わせ、腕を組む姿のキマった見事な美人があちこちで見られ、「ロシアの女性はマトリョーシカ(体形)」と言っていた父のロシア情報に古さが感じられた。
日本から持参した母の毛皮のロングコートとロシア帽を出すのがはばかられたが、「外はマイナス25度」ときいて、ベルトコンベアをようやっと回ってきたスーツケースを、のろのろと開けた。

同じロシア人からでさえ「冷蔵庫みたい」と呼ばれる地、極東・シベリア。しかしここのインフラはすすんでいる。きいていたがなるほど、町全体がドラム缶で包まれたセントラルヒーティングのマンションのようになっている。道が凍らないように工夫がなされ、クルマはけっこうなスピードでじゃんじゃん行き交っている。
移動の車窓から見る夜のハバロフスクは雪と氷にくるまれて、ぼんやりとオレンジ色に光っていた。

<つづく>

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