第29回アムール河の波

ハバロフスク空港から市内のホテル・インツーリストへ、クルマで3,40分ほどかけて移動した。途中、窓の外はうす暗い雪景色。人の姿はほとんど見えない。
空港からホテルのチェックインまでは、迎えの通訳さんがいてくれたが、そのあとはT君と二人きりになった。

T君はテレビ局勤務の、旅仲間である。第24回「ハワイ島の思い出」に書いたとおり、レインボーズの面々がロシアの極寒を恐れて固辞するなか、ただひとり、今回の旅に賛同してくれた人だ。
T君とは何度も一緒に旅をしてきたけれど、これまで見たことのない巨大なコートを身にまとっていた。
「これ、サラエボ取材のときに買ったコート。あそこも寒かったなぁ。ていうよりユーゴの内戦の後の、なんだか凍ったような空気が恐ろしかった。あんなに寒いところにはもう二度と行くことはないと思っていたけど、捨てるのもナンだし、と思ってとっておいてよかったよ~」
T君は長身でほっそりしているので、そのコートを着ていると大きな木が歩いているように見える。

「ちょっとなんか食べに出ようか。おなかすいたね」
ちょっと出よう、なんて言ってひょいと出られる気温じゃなかった。外はすっかり暗くなり、氷工場並みの寒さ(第26回参照)がひどく身にしみた。こんななか1メートルも歩けないと思ったが、空腹に耐えられず、レストラン行きを決めた。

いまにして思えば、寒いなか外へ出ずともホテル内にもレストランはあったのに。
T君が事前にガイドブックで探し、あらかじめ目をつけていたレストランだったのだろう。自分が狙いを定めた場所には必ず到達する。仕事柄か、そういうところはぜったいに妥協をしないT君であった。

ホテルのフロントでクルマを呼ぶことができたので、ぶじ目的地に着いた。
レストランの入口は豪華な構えだったが、店内に入ると誰もおらず、女の子が一人出てきて、私たちの対応をした。腕時計を見ると、針は食事時をさしていた。
東京とハバロフスクの時差は1時間ある。ハバロフスクを含むロシア極東地域は、地図で見ると日本の左に位置しているが、時間は1時間先を行っている。ヘンな感じがする。
食事はスープなど軽い物で済ませることにして、私は時計の針を、先へと進めた。

ホテルの部屋からは、大河アムールが見えた。
昨夜には暗く深い森にしか見えなかったアムールが、一夜明けた眼前に大きく広がって、世界を白く照らしていた。
中学校の時に合唱でよく歌った『アムール河の波』を、本物のアムールを眺めながら歌ってみた。こんな日が来るとは。中学生の私に教えてあげたい。
「見よ、アムールの波白く」
歌詞が途中までしか出てこなかったが、キーはぜったい合っている。私はその歌を、とても好きだったのだ。

「見たー! アムールを見たよー」

こんなにきれいな場所を、私はほかに知らなかった。
真冬に来てよかったと思いながらアムールを見つめた。

<つづく>

*当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

タイトルとURLをコピーしました