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クラリネットと私

第110回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」⑦初めてのダッタン人

会場は紀尾井町サロンホールに決まった。真島さんの曲を中心に据えて、二人で合わせながら、選曲をすすめていった。そんななか、「ダッタン人の踊り」が選曲リストに浮上した。私がダッタン人について書いていることを知ったゆりゆりが、こんどのコンサート用...
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第109回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」⑥タイスの瞑想曲

追悼コンサート企画の発生と前後して、私の参加する「ボッサ・アミガ」のライブがあった。アミガのことは、 第98回還暦クラス会(1) に少し書いたが、3年ほど前から活動している女性4人のボサノバ・ユニットである。ライブは半年前から決まっていて、...
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第108回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」⑤ 一人きりの日々

会社時代の二十年、私は都心で一人暮らしをしていたが、病気をして実家に戻って以降は家族のいる生活のあたたかさにどっぷりと浸かり、もう二度と、一人で住みたいとは思わなかった。ところがここへきて父が世を去り、母も入院して、ひさしぶりの一人暮らしと...
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第107回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」④追悼コンサートをやろうよ

そのときのことを、わたしはまだ書くことができない。父の死顔やその前後のことをふと思い出すだけで、いまはまだとても胸が苦しい。焼き場から持ち帰った骨を、父のいつも座っていた大きな椅子のそばに置いて、仮の小さな仏壇をつくって花を手向け、ただひと...
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第106回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」③カンオケ宣言、その後

カンオケ宣言以降、内臓が飛び出そうな悲しみと不安を抱えて過ごした。親との別れを覚悟することが、これほどたいへんなことだったなんて。だれもが通る道であり、多くの友人知人がすでに通った道だけれど、あのとき私はかれらになにをしてあげられただろう。...
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第105回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」②父のカンオケ宣言

父が倒れた。といってもパタリと倒れたわけではなく、風邪をこじらせて、じわじわと具合が悪くなり、どうにもならなくなったあげくのことだった。夜中になると激しい咳が出て、眠ることができず、食欲もなくなった父は、日に日に弱っていった。父のことが心配...
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第104回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」①演奏活動の再開と再会

会社を辞めて、二十年住んだ東京を離れて、だいぶ経った。退社時に発症した乳がん闘病について書いた『毛のない生活』とその続編『似合わない服』(ともにミシマ社)が出版されて以降、本の執筆や大学講師などをやってきたが、2019年の年末にシンガポール...
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第103回帰ってきたダッタン人⑤ エニセイ川からレナ川へ

ロシア人だけでなくヨーロッパの探検家たちもシベリアのクロテンを求めて、活動を活発化させていた。クロテンが多く生息していたマンガゼヤ地域への航海は16世紀にはじまり、17世紀にかけて行われた。質の高いマンガゼヤの毛皮はアルハンゲリスクの市場を...
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第102回帰ってきたダッタン人④ オビ川からエニセイ川へ

エルマークの死後も、戦闘はつづいた。ロシアはシビルになんども軍を送った。シビルでは、中央アジアから来たセイヂャクが支配者になっていた。その支配地域はロシア軍によって奪われ、セイヂャクが取り返し、また奪われ・・・と二つの軍のあいだを行ったり来...
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第101回帰ってきたダッタン人③ 毛皮商のストロガノフ家

親分に干されて傷心(勝手なイメージ)のエルマーク、シベリアへ向かう。エルマークを追放しただけでは腹の虫がおさまらない雷帝が、エルマークの息の根を止めるべく軍を派遣。モスクワ軍に追われつつ、エルマークは部下を引き連れてボルガ川からカマ川(ボル...