会社時代の二十年、私は都心で一人暮らしをしていたが、病気をして実家に戻って以降は家族のいる生活のあたたかさにどっぷりと浸かり、もう二度と、一人で住みたいとは思わなかった。ところがここへきて父が世を去り、母も入院して、ひさしぶりの一人暮らしとなっていた。
いつも美味しい料理を作ってくれる母が倒れてしまい、夕方になると2割引きになるお惣菜をめがけて、近所のスーパーへ出かけた。自分で作るのは、お雑煮くらいだった。なぜだかこの時期、やたらお餅やお団子を食べたくなることが多く、お惣菜と一緒に柏餅やヨモギ団子を購入した。仏さんの食べたがっている物を食べるようになっている・・という話も聞いたので、「パパが食べたいのかなぁ・・・」としみじみした。あんこが好きなのに、I型糖尿病で、生前はお腹いっぱい食べられなかったから。
「だんごの楓」の団子がとくに気に入った。流山市にあるお店らしいのだが、ウチのそばのヨーカドー内「わくわく広場」で買うことができる。「だんごの楓」の団子を毎日のように食べ続け、しかし私はちっとも太ることなく、気づいたときには体重がめっきり減っていた。脳がカロリーをいちばん使うということを実感した。わが家は会話の多い家庭だったのに、話す相手がいなくなって、考え事ばかりしていたからだろう。

風邪を悪化させて入院ひと月半であっけなく逝ってしまった父は、私になんも言っといてくれなかったので、父がやっていたあれこれ・・・家のことやお金のことをぜんぶ自分で調べてやらねばならなかった。家族を見送った経験者から「悲しんでいるヒマないよ」とは聞いていたが、こういうことだったのかとおもう。昼間はなんだかんだ来客や、お役所や銀行の用事があったり、母の病院へ差し入れに行ったりと忙しかったが、夜になると一人、さみしさがつのった。
久々の一人暮らしに、防犯意識も高まった。強盗が来た時に闘うための用意を万全にして、近所に住む男性やウチの前で遊んでいるサッカー少年たち、出入り業者のお兄さんらに、いざとなったらよろしく頼むとお願いする。
夕方になると、庭の植物に水やりをしてから雨戸を全閉めして、クラリネットをケースから出した。
小さな仏壇の前で父に話しかけながら、真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」の練習を第一楽章から、はじめた。
しかし、その楽譜が思っていたより難しく、さらに痩せたせいか、すぐに息切れしてしまう。こんなんで、私はこの曲をちゃんと吹けるようになるのだろうか・・・。
これまでやってきたビッグバンドやボサノバ・グループとちがって、こんどのクラシック演奏会のフロントは私しかいない。しかも最初から最後まで、難しいおたまじゃくしを正確に吹くことが求められる――私はふと不安になった。
その一方で、演奏会の計画は着々とすすんだ。十年以上にわたってセルフ・プロデュースのリサイタルを幾度かおこなっているゆりゆりはいろんな手続きに慣れており、会場選びから、あるていど絞ってリストアップしてくれた。
日差しがぐんとつよくなった初夏のある午後、汗をかきかき都内を二人でまわって、会場の下見をした。クラシック演奏は生の音でやるため、ピアノの選定を含んだ会場のセレクトは大事らしい。
その帰り道、赤坂のとらやさんに入って甘味をいただいた。これも仏さんのお導きだったかもしれない。
<つづく>
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