第110回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」⑦初めてのダッタン人

会場は紀尾井町サロンホールに決まった。

真島さんの曲を中心に据えて、二人で合わせながら、選曲をすすめていった。

そんななか、「ダッタン人の踊り」が選曲リストに浮上した。私がダッタン人について書いていることを知ったゆりゆりが、こんどのコンサート用にアレンジしてくれるという。

――これは、人生の一大事だ。

ダッタン人~は、『イーゴリ公』というロシアのオペラの中の、わたしがかねてより吹きたいとつよく思ってきた曲である。かつて吹奏楽コンクールで、どこかの学校がやったそれを聴いて、感動した。「ダッタン人の踊り」のダッタン人とはいったいどんな人たちなのか・・・とも、かねがね思っていた。

とはいえ、「レ・ジャルダン」をやるだけでも大ごとだというのに・・・「ダッタン人の踊り」まで・・このような大曲を、一気にやってしまってよいのだろうか・・・

満席となりました。

『イーゴリ公』は12世紀の史実をもとにした『イーゴリ軍記』がベースの叙事詩的オペラ。作ったロシアのボロディン(1833-1887)の本業はお医者さんで、生涯アマチュア音楽家だった。農奴(ロシアでいう土地に縛られた農民)の家の子として育つが、本当の父親はグルジア王家の血をひく公爵だった。その人が60歳を過ぎてある女性と恋をして生まれた子で、ボロディンを私生児にしないために実の父がボロディンを農奴の子として登録した。ボロディンは医学の道を進みながら音楽に親しみ、陸軍病院で働いていた23歳のときに17歳のムソルグスキーと出会い、彼を通じて多くの音楽仲間と知り合って、作曲にのめりこんでいく。

医学者・化学者としての実績を上げたうえ、女子の教育に力を入れた。1872年の秋にロシアで初の、医大における女性のための医師課程(産科医学過程の名称)の創設を実現させた。プライベートでは愛妻家であったという

36歳のときに批評家スターノフのすすめで『イーゴリ公』を作り始めるが、53歳で亡くなってしまい、のちにリムスキー=コルサコフとグラズノフが手伝って、作品を完成させている。

 

私は「ダッタン人の踊り」につよく惹かれていたが、吹奏楽部だった中高を通してそれを演奏する機会には恵まれず、大学でビッグバンドジャズに没頭する日々が始まるとしばらく忘れていた。

 

出版社をやめて、本を「作る」人から「書く」人へ転向し、父の会社人生の出発点だったロシアを取材したのは、ロシアのクロテンを追って書いた『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館・2014年)という本がきっかけだった。当ウェブサイトに長期掲載している「ミルコのファーロード」は、シベリア史や中国東北地方史について勉強をつづけてきた私の学習メモのようなものだが、これを執筆していなかったら<ダッタン人>と再会することもなかった。

ちなみにダッタン人はタタール人ともよばれるが、『イーゴリ公』に於いて正しい名称はポロヴェッツ人(ティルク系遊牧民族)で、ボロディンの父方の遠い先祖にその血がはいっていたのだそうだ。『イーゴリ公』の中ではポロヴェッツ人の首領(アタマン)コンチャク汗が英雄として描かれている、

 

そんなわけでこのたび初めて、人前でダッタン人を吹く。

「ダッタン人の踊り」という楽曲との出会いから半世紀近くの月日が流れてやってきたこの巡りあわせ。13歳からクラリネットをやってきて、還暦になってこんなことが起こったりするのだから、できるだけ長生きはしたいものだとおもったりもするけれど、また数段、上がってしまったハードルの高さに、ため息をついた。

<つづく>

参考文献 『ボロディン ムソルグスキー リムスキー=コルサコフ 嵐の時代をのりこえた「力強い仲間」』ひのまどか著 リブリオ出版刊

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