父が倒れた。
といってもパタリと倒れたわけではなく、風邪をこじらせて、じわじわと具合が悪くなり、どうにもならなくなったあげくのことだった。
夜中になると激しい咳が出て、眠ることができず、食欲もなくなった父は、日に日に弱っていった。
父のことが心配で心配で、私は発狂しそうだった。大きな病院で検査を受けるようすすめたのだが、「しんどい」と言って父はなかなか動いてくれない。弱りゆく父を見るに堪えかねて、咳が最高潮に悪化した深夜、父のかかりつけ病院へ、私が強引にクルマで運んだ。
一度目は入院させてもらえず、自宅へ戻り、また深夜の咳の連続に苦しんだのちの急患で入院が決まり、抗菌薬による肺炎治療がはじまった。
父のいなくなった家のリビングは、広い。
この場所へ、早く帰ってきてほしい。
中央にでんと置かれた父の大きな椅子を見るたびに、悲しくなった。
父がいないと、なにもやる気が出ない私なのだった。
いつも父と一緒に観ていたワールドニュースも見なくなり、「まいにちロシア語」(NHKラジオ講座)も聴く気がしない。文章を書くことも、楽器を吹くことも、できない。新聞や本も読めない。活字を追えなくなっているのだった。なんにもしたくないしなんにもやらない、このままでは廃人になってしまう。
それでも父が退院したら和室で寝られるように、母と一緒に部屋の片づけと掃除を始めた。主治医には「2週間ほどで退院」と予告されていたので、父の帰りをイメージしながら、励んだ。父がここへ帰ることができるのだと思えば、なんでもしたい。
ところがそうこうするうち、息も絶え絶えの父から電話がかかってきた。
「もうおわり~、カンオケ」
「えーっ⁉」
87歳という年齢をおもえば、もうじゅうぶん長生きをしてくれたのであり、ひとは寿命で死ぬ。病気は関係ない。だからここが寿命なのだと神様のいうことであればいたしかたない。けれど、私と母にとってみれば、急な話だった。

持病(Ⅰ型糖尿病)を持っていたが、ずっと元気だった。頭もハッキリしていて、毎日よく喋って、よく笑っていた。Ⅰ型糖尿病はインシュリンがゼロ、まったく出ないため、三食ごとに手指に自ら針を刺し、血を出して血糖値をはかり、その数値に応じた分量の注射を自分で打っていた。
注射があるので規則正しく暮らしていた父は、朝は8時前には雨戸をガラガラと開けて、寝床を上げて、8時過ぎからパンとサラダと果物とヨーグルトの朝食を摂り・・新聞を丁寧に読んで、テレビでワールドニュースと経済ニュースを見て、スマホで株価をチェックし、歯を磨き、ひげをそり、午後から夕方は体調よい日は散歩をしたり、ドラマや大相撲を見たり、家族のためにお風呂を洗い、布団を敷いて・・・と静かで穏やかな日常を送っていたのである。
カンオケだなんて。そんなはずはない、ぜったいにない、もうすぐ退院なのではなかったか・・・
<つづく>
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