第15回笑わないロシア人

私はクロテン村で数日を過ごした。

何もすることがないので、天気のいい日は外に出る。

ぶらり散歩をすると、同じようにぶらり散歩している村人に出会う。

ここで会う人会う人、初めてな気がしない。

どこかで会ったようで、なつかしい。

日本人とウデヘ人は、大昔いっしょにマンモスを追いかけていた仲だったのだろう。

ブルーグレーの瞳に黒い髪、浅く焼けた肌に刻まれた皺、見れば見るほど誰かに似ている。

そして、愛想はないのにみな親切で、さらっと人の世話をやく。

 

ロシア国民全体に言えることなのだが、彼らは、優しいのに笑わない。笑わないから、こちらは少し、不安になる。

西欧諸国の人びと――地球の東西半分に大きく跨っているロシアは西欧とも東洋とも言えるのだが――に比べてスマイルが少ない。愛想笑いなどまずしない。ロシアで愛想笑いを見かけたら、それは一部の若者で、彼らは英語をしゃべるが、たいていのロシア人は母国語以外を話さない。よく知らないのに、愛想笑いを浮かべトモダチのふりなどしない。愛想笑いをしないうえ、お愛想も言わない、よけいなことは言わない、必要なこと以外は黙っている――という人びとが主流である。

たとえばハバロフスク市で、バスに乗る。地下鉄のないあの町では、みな仕事も遊びもバス移動なので老若男女が乗っているのだが、彼らは異邦人に親切にしてくれる。

わざわざ私に行き先をきいてきて、降りる直前にバス停を教えてくれたりもする。

ハバロフスク市内を走るバス

ただ、親切なのに顔が怒っている。ここが、ややこしい。

ああいつもこういう顔なんだと、いまでは少し慣れたけれど、そんなロシア人に出会うたび、日露外交史の不幸の一端もきっとここにあるんだろうなあと思ってしまう。

笑顔ナシで世話をやいてくれる、眉間にしわを寄せながら助けてくれる、それがロシア人である。

私を泊めてくれたお宅のゲーナとニーナ夫妻も、こちらが笑いかけても笑い返してくれることはめったになく、何か言ってもほとんど反応してくれず、彼らは朝から夕方まで自分の仕事をもくもくと――夫は庭の畑を手入れし、妻は野菜を洗ったりそれを切ったり皮を剥いたり・・・と、ようはつねに手仕事をしていた。

あれ? 姿が見えないなと思ったときはリビングをのぞくと、いる。紅茶を淹れてテレビを見ていたりする。私に気づいても、声をかけない。

私などいてもいなくてもおんなじ・・・かといってまったく無視されているわけでもなくて、あたたかい手料理とベッドとお風呂を、ちゃんと用意してくれるのだ。

彼らの家の中は、色とりどりの柄に包まれていた。たいへん愛らしい、そして手入れの行き届いた部屋に、そっけなく、かつ、あたたかく、私は迎えてもらった。

ニーナの貴重な笑顔

なによりニーナのごはんがオーチン・フクースナ(とても美味しい)、私がベジタリアンカ(菜食主義者)だということで、それを踏まえた手の込んだご馳走を、毎食作ってくださった。ハーブやニンニクがよく効いて、それでいてほどよくサッパリしている。ウデヘ村の主婦は家の畑で野菜やハーブを育てる、料理上手だ。

お風呂はバーニャと呼ばれるロシア式サウナで、毎晩ご主人のゲーナが井戸から水を何杯もバケツに汲んで、マキをくべて焚いてくれた。その熱を利用して沸かした湯を、井戸の水で少しずつ薄めながら体や頭を洗う。その間、汗がどんどん出て、全身スッキリする。水をムダ遣いすることもない。

スノコの脇からブクブクと苦しそうにあぶくを立てて地面に落ちるシャンプーの様子を見て、土も水も、洗剤と合わないんだなと思った。

トイレは家の外にある。

夜には懐中電灯を持って出なければならないが、その代わり用を足すたびに満天の星が見られる。流れ星がザラザラと落ちる。

水洗でないお手洗いを使うのは久しぶりだったが、すぐに慣れた。

成果物を自然に還す仕事に、腸も喜んでいるようだ。日に二回の快便が続く。

トイレの入口も、ドアの内側も、虫がいっぱい。

大きなハエや蜂に似た虫が、ブンブン飛び交っている。

しかしそれにひるまず、彼らをむやみに追い払わず、

「モージュナ?(いいかい?)」

と言って入る。すると、彼らは、

「パジャールスタ(どうぞ)」

と、スーッといなくなってくる。

私はとうとう虫と話せるようになったかと思うほど、いっせいに虫は去った。これ、実話。

「どうぞ」のほかに「お願いします」「どういたしまして」の3つの意をもつ「パジャールスタ」は<魔法の言葉>だと、ロシアの子どもたちは親に習うらしい。

ここの虫たちはほんとうにお行儀がよい。虫だけでなく、そのへんを歩いている犬たちも、のんびり路を行進している牛たちも、みな人間を信じ切っている。長い月日を積み重ねてきたウデヘとビキンの仲間たちの、信頼関係は厚い。

私はいまここへきたばかりの新参者だが、ウデヘの人たちに迎えてもらった人間だから、ここへ入れてもらえているのだろう。ウデヘの了解を得た人間を、虫も動物も襲わないのである。

村の狩猟組合「ティーグル」で働くスベトラーナさんはこう話す。

「ビキンの精霊たちは、間違った人たちが来ると、罰を与えるの、私たちの代わりに。ビキンには、水の神様も動物の神様もいる。ここにはいろんな神々がいるけれど、その神々はここへ間違った人たちが来ることを、許さない」

彼女は、神様を複数形で言った。

<つづく>

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