第16回生き物たちの大量死

かつて多くの日本人が海を渡った。

ある人は仕事を求めて。ある人は戦争をしに。

戦争の悲惨さが語られるとき、つねに人間が主役であるけれど、戦争では人間だけでなく無数の生き物が傷つき、死んでいる。

<戦争の世紀>であった20世紀には、クロテンはじめ毛皮獣やウサギなどの小動物たちも、戦場へと駆り出された。寒い戦地へ赴く兵隊さんの防寒のために、大量の毛皮が必要だった。日本では飼い犬・飼い猫までが集められ、殺された。

森も獣も鳥たちも。海や川も。命あるものは戦争の犠牲になった。

人間だけでなく、生き物はみな、<殺しながら生きる>。

けれど人間による殺戮行為は、行き過ぎた。

やがて天罰がくだるその日まで、殺しながら生き続ける。

戦争は人間たちの欲望から生まれ、殺し合いの戦争が終わると、こんどは経済中心の世の中で似たようなこと――が続けられた。生き物たちの大量死は、終わらない。

ロシアの本を読むごとにクロテンの大量死を知らされて、私は考えた。

ロシアの繁栄を支えたのは農奴や先住民の人びとだけでなく、無数のクロテンである。

かれらの無念をはらしたい。無念に逝った者たちの無念をはらすことは、いまを生きる者の使命である。ロシア語で「世界平和」を名乗っている私に何ができるのか。

ウデヘの人びとは、自然との約束事=森のルールを守りながら、生活を続けてきた。地球という星のなかの、命のサイクルを乱すことのないように、ともすれば欲張りになりがちな人間である自らを戒め、律してきた。換金にもっとも手っ取りばやい木の伐採が、第二次大戦後の世界需要がおちついたあとにもやまなかったが、こらえた。自然の輪の中に、自分たちもちゃんと入ることによって、タイガの存続を実現してきたのである。

先住民たちは、さまざまな<魔の手>をなんとか振り切って、いまに至っている。ただし今後はわからない。<魔の手>はこれまでとは別の方向から、迫ってきている。

ちょうど私がビキンを訪れたとき、ウデヘの地は大統領令による「国立公園化」の問題で揺れていた。長いものに巻かれることが、利便の良さや富を育むこともあるだろう。しかしそこは試案のしどころだ。誇りは、守り続ける。

村の博物館で

アンナ・カンチュガの家をたずねると食事を終えたところで、ゼンマイをアカシカの肉であえたお料理をふるまってくれた。

私はそっと肉をよけてゼンマイをいただいてみる。

ふだん食べていない肉の香りに、クラっときた。

ずいぶんこってりした、旨味のある脂がアカシカにはあるのだなと知った。彼らは木の実や芽しか食べていないというのに。

動物を殺さない。それにこしたことはない。しかし、ここの人びとは一万年も前から、森に入って生きてきた。

ウデヘの猟師は、獲物をけしてとりすぎない。あくまで獲物はタイガの神からの授かりものだ。

女デルス・ウザーラのような雰囲気のアンナさんは、私をこのあとタイガの森へ連れていってくれることになるアレクセイ・ゲオンカの伯母さんである。そして名人猟師ヤコフ・カンチュガの妻だ。彼女は、いつも一緒に森へ行っていた夫ヤコフを亡くしたいまも、銃をかついで森に入り、獲物をとる。そして、動物たちの肉は食料とし、皮や毛皮で、小物を上手に作る。

タヌキの毛帽子

タヌキの毛皮を使った帽子は、一日で作る。フカフカで、被るとじつにあったかい。ロシアの冬には必需品だ。

アンナが2頭のアカシカの脚から作った靴を、結婚前に恋仲だった男性にプレゼントしたことがあるという。もう30年以上も前のことだが――彼はいまもその靴を履いているそうだ。

クロテン村の女性たちはそのようにして、獣の皮を使って、靴や小物を上手につくる。

お土産をつくる村の工房では、ガリーナ・イワノヴナ、ヴァレンティナ・カンチュガ、ライサ・リーが、クロテンの毛皮を使って室内履きを製作していた。

お土産工房の様子

シカやリスの毛も使うが、クロテンの毛皮はダントツに柔らかく、肌触りがよい。

「クロテンの毛は、目の中に入れても痛くないよ」

と言って、ヴァレンティナがクロテンの毛皮を私の頬に寄せた。

死んだはずのクロテンが生き返るかのように、ふわりとした毛が宙に舞った。

帰国したミルコからの便りを読むアンナ(撮影・野口栄一郎さん)

<つづく>

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