第49回ダーチャに泊まる④

三日ぶりに町へ戻った。
ホテルで洗濯をし、洗髪をし、ビデオカメラも充電をして、再びワロージャの車が迎えに来るまで、大忙しだった。
こちらに来てから初めての雨が降り、ホテルのレストランで遅い朝食を摂る。
レストランのテーブルでWi-Fiの電波をキャッチできたのでウェブニュースを見ると、今日のザバイカリエ地方は雷雨になるという。ロシア人たちの会話ではよく聞き取れなかったニュース・・・フランス南部のニースとトルコでテロが起きたことも、知った。

チタのホテルのレストラン

再び私をピックアップしたワロージャのクルマは、町を出るとガタガタ道を森へ向かって進んで行った。イリーナは同乗していなかった。別行動しているのは、ケンカのせいではない。三日前のダーチャへの道中に二人は言い合いしていたが、ダーチャに着いたら治まった。
しばらくはケンカの余韻が抜けない様子であったが、ダーチャへ着くとワロージャとイリーナは別々に、黙々と畑の水やりや手入れを始めた。土を触っているうちに気持ちが落ち着いていったのだろう、いつのまにか元に戻っていた。

昨夜、イリーナだけを残してワロージャと私は市内に戻り、私はホテルにいったん戻ってふたたびダーチャへ行くところである。こうして郊外と町中を行ったり来たりしていると、地元のロシア人になった気分だ。

途中でどこかに寄る、とワロージャが言った。「サバーカ」と聞こえたので、犬にまつわる何かの場所へ行くのだとはわかったが、着いた場所は大きな林。驚いたことに、林の中の広い敷地が丸ごと、ワロージャの犬たちの「家」だと言う。ワロージャはこの敷地で、何匹もの大型犬を、飼っていたのだった。

ワロージャのサバーカ

犬の他にニワトリや孔雀に似た大きな鳥もたくさんいた。私が行ったときは敷地に放たれていたが、巨大な檻がいくつも置かれていたので、夜は檻に入れられるのだろう。檻のそばに痩せたおじさんが座り込んでいる。おじさんはワロージャに雇われている、動物シッターだった。その羊飼いならぬ犬飼いおじさんが、毎日この林へ出勤して、動物たちの世話をしているらしい。

ワロージャは、ダーチャでの残飯や畑で抜いた雑草を大量に車の後ろに積んでいて、着くと敷地内にそれらを運んだ。
ダーチャにいるあいだ、料理をしながらイリーナがなんども「サバーカ」とか「クーリッツァ(鳥)」とか言ってバケツに食べものや草を貯めていたが、このためだったのか。ダーチャで採った野菜や作った料理を、林の中に住まわせている動物たちにも分け与えている。彼らは本当に食べものを大切にしていた。食べものだけでなく水も土も。

ワロージャはひとしきり動物たちと遊んだりして、おそらく健康状態などをチェックしたあと、シッターのおじさんに丁重にお礼を述べて、ふたたび私を連れてクルマに戻った。
そして森の道をしばらく走り、サバーカの家からおよそ30分でダーチャに到着。山道を昨日より短く感じた。すでにロケハン済みって安心だ。
ダーチャに着くとダーチャの家主・イリーナが、待ち構えていた。
「おかえり」
ほんとうのお母さんのように、笑顔で私を迎え入れた。

予報通り、この日は雨になった。
雨降りでも彼らは畑に出る。コツコツ土をひっくり返しては、何かを植えたり草を抜いたりやるのである。
私はしばらく一人になって、ぼんやりしていると、若いカップルが母屋に入ってきた。
笑顔で私に挨拶すると、自分ちのように奥のテーブルにどっかりと座り、英語で話しかけてきた。
コーチャとサーシャ ――イリーナたちの息子とその奥さんだった。

若者二人を交えて、夕食になった。
食卓の話題はもっぱら息子のコーチャが独占しているようで、彼の話に時折イリーナが諭すように割って入る。イリーナは息子がとても心配な、やはり優しいお母さんなのだった。
彼らが来たら、イリーナとワロージャが急に年老いて見えた。
私はこの親子の、ちょうど中間くらいの年だと思うのだが、どっちに近いかといえば親のほうが近いかな。

食事を終えると、バーニャに入ろうと若い二人に誘われた。
バーニャはロシア式のサウナである。イリーナのダーチャには広くて立派なバーニャが離れにあった。
コーリャもサーシャもサクサクと裸になり、バーニャに入っていった。
ロシアのバーニャでは、男女一緒でも気にせず入る。
バーニャに入るのは初めてではなかったが、他人が一緒なのはこのときが最初だったので、ちょっとだけ緊張したが、コーリャとサーシャのほがらかさに押され、日本から持参したキティちゃんのバスタオルに身を包んで、彼らに合流した。

ダーチャでバーニャ

写真にあるように、三人とも帽子を被っているのは、熱からアタマを護るためである。ロシア人はアタマを大事にしている。プラトークというほっかむりをしている女性をよく見かけるが、あれもおしゃれというよりはアタマを護るためにあるらしい。

コーチャとサーシャは湖の近くにホテルを取っていたようで、しばらく歓談の後、畑の野菜を両親からもらって帰って行った。
そうこうするうち、ワロージャも町に帰って行き、私はイリーナと二人きりになった。
イリーナは私が疲れたのではないかと気遣い、早く寝るように促している。
長かった陽がもうじき落ちる。急に眠気が襲ってきた。

<つづく>