第48回ダーチャに泊まる③

イリーナの案内で街へ出て、ビジネスランチタイムのカフェに入った。
天井が高く、店内は広い。
内装とテーブルや椅子はすべて木造だった。
ビュッフェ形式の学食のように、お盆を持って並んで進む。
ロシア料理によく出る蕎麦の実=グレーチカを私は好きで、ロシアを訪れるたび、よく食べている。この店にもあったので山盛りにした。グレーチカは、ロシアで食べないと美味しくない。

ランチを摂りながら、「極東共和国」のことを聞いてみた。
あらかじめ用意していたメモと、手書きのイラストと地図と、あとは知ってる単語を並べて。
極東共和国とは、ロシア革命後に連合国による干渉戦争(日本の「シベリア出兵」のことは第45回に)があったこの地域に、ある一時期実在した緩衝国家である。
私が最初にそれに興味を持ったのは、堀江則雄氏の本『極東共和国の夢』(未來社)で、だった。極東共和国政府の指導者・クラスノシチョコフ(アレクサンドル・ミハイロビッチ・クラスノシチョコフ1880-1937)の生涯を追ったものだ。
その後、『ロシアにアメリカを建てた男』(旬報社)を読んだ。それは北海道テレビにおられた上杉一紀氏がドキュメンタリー番組を作ったときの書籍版で、映像も観たくなった私は上杉さんをたずねて北海道へ飛んだ。そのとき上杉さんが、面白い関係者や本をたくさん紹介してくださった。なものだったから、私はチタに行ったらイリーナに聞いてみよう、と思っていたのだ。イリーナはそれの研究者ではなかったが、私がしどろもどろの説明をすると、「よしきた、まかしとき」といったふうに立ち上がり、サクサクとトレイを片付け、食後すぐ図書館へ向かうことになった。

クラスノシチョコフは1896年から活動していた革命運動家だった。アメリカに亡命していたが1917年に二月革命が勃発し、それを機に母国へ戻る。ハバロフスクで<シベリアのソビエト化>の任務に就くが、ブラゴベシチェンスクとウラジオストックで事件が相次ぎ、日本はじめ連合国の干渉との闘いが、彼の主な仕事になっていく。

大きな図書館だった。特別な閲覧室のようなところに通されて、司書の人があいさつに来た。私が有名な研究者やジャーナリストだと思われたのだとしたら大間違いですから・・・と「ニエット(No)!」のリアクションをしようかと思ったがその必要はなかった。司書の人の丁寧な対応は、イリーナの紹介だからである。私が大事にされるのは、全てイリーナの力だった。
「あとはよろしく」と司書に言い、イリーナは仕事場へ出かけて行った。平日のイリーナは勤め人なので、私のためにわざわざ仕事を抜け出してくれていたのだった。日本からの変わった来客のせいで、彼女は普段以上に忙しくなっていると思われる。

イリーナがいなくなると、司書の人も消え、しばらくぼんやりしていたら、どっさり本を抱えた司書が戻ってきた。ドンと私の前の机に置く。古書を含む様々な文献を出してきてくれたらしい。
「コピーも取れるから、欲しかったら言ってね」
たぶんそんなようなことを言って、どこかに行ってしまった。

またしてもシベリアの図書館で、一人閲覧している私・・・というのは去年の夏も、イルクーツク大学の図書館で似たようなことをやっていたのだ。それがなければ私はイリーナの本に出会っていない。イルクーツクの話は、のちほど。

積まれた本の山から、一冊ずつ取り出して、開いていった。
簡単な言葉しか読めないのだから、宝の持ち腐れになるところであるが、ここは編集者の長年のカン、本を触るとそれが自分にとって大事かどうかが、私にはわかってしまう。というより、本が教えてくれるのである。「この本はいいよ」と。
私は司書が出してくれたうちの何冊かの目次と奥付のコピーを、彼女に頼んだ。
日本に持ち帰り、この手の話で詳しい人に見せれば、面白い話が聴けるかもしれない。

資料を手に図書館を出て、ホテルへ帰る。
この町で初めて一人でバスに乗った。
ちょっと緊張するが、ロシア人はこういうときに親切なのだ。そばの人に声をかけ、ホテル名を告げておけば、たいてい「次だよ」と降車場を教えてくれる。

ホテルへぶじ帰り、おやつを食べて、しばらく休んだ。
あとで再びイリーナがホテルへやって来る。
そう、今夜こそダーチャに泊まるのだ。
今度はちゃんと聞いたぞ。だからしっかり外泊に備える。虫に刺されないよう長ズボンに履き替え、替えの靴下や下着、寒さ対策の上着や薬やタオルなど一式カバンに詰めて、万全の用意をした。これで今夜は大丈夫。ダーチャへの招待に、ちゃんと応えられる。

昨夜から今朝にかけての胸の曇りはすっかり晴れて、私は前向きな気持ちで迎えを待っていた。
そして午後6時。約束どおりの時間に来てくれたイリーナとワロージャの車に、私は明るく乗り込んだ。
ところが・・・あれ?今度はなんだか彼らのほうの様子がヘンだ。
図書館で別れた時は元気いっぱいだったイリーナが、すっかりお疲れのご様子である。
さらにワロージャも、昨夜のことがあったので私に気遣ってくれてはいたが、本人にあまり元気がない。どうやら二人は、喧嘩をしているようなのだった。

後ろの座席で寝たフリをしながら、二人の会話を聞いている。
ふだんの夫婦の会話は早口でほとんどわからないのに、こういうときだけよく聞こえる。かなりお互い怒っているみたいだ。
私は二人の小さな子どものようにうずくまり、耳をそばだて、じっとクルマの走りに身を任せていた。

<つづく>

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