第42回ロシア極東の村・リドガの製材工場へ

商社時代の父の後輩であった沖田金次郎さんに、リドガ(コムソモリスク・ナ・アムーレ方面)というロシア極東の村へ、連れて行ってもらったことがある。幼なじみの早苗ちゃんも、一緒だった。沖田さんは二十年ほど前に総合商社のニチメン(現・双日)から独立、ロシアで会社を興し、ロシア材の商いを続けている。
ハバロフスク市内からクルマで、舗装されていないガタガタ道を走ること4、5時間、木材加工工場を見学したあと(工場見学の話は別の原稿に書いたので、またの機会に掲載します)、工場長・アクショーノフさんの実家に招かれた。

アクショーノフ工場長さんの家で。お母さん、早苗ちゃんと

過酷なロシアの冬をこれで越すのだろうか・・・と心配になるような、素朴な木の家。お母さんは牛を飼い、その牛のミルクでミルクティーを入れてくれた。「ハチも飼っているのよ」と、おいしいハチミツもミルクティーに加わった。
チャンネルが一つか二つしかつかないような古いテレビをかけて、画面に出ている政治家に向かってお母さんはなにやら大声を上げている。沖田さんの通訳によると彼女は物知りで、政治にも詳しく、自分の考えを一生懸命私たちに述べていたのだった。
「怒っているのかなあ」と最初は思った。
ロシア人はあまり笑わない。日露外交史の不幸もここにあるのではないかと私は前にも書いたが、顔は恐いのに気は優しい、怖い顔で親切、なのがロシア人である。恐い顔で礼儀正しい、面もある。付き合ってみるとたいていみな世話好きで、人情に厚い。

優しい牛

工場長のアクショーノフさんも、働き者であたたかい人物だった。木材の仕事が大好きだと言う。自分の仕事に、たいへん誇りを持っている。
彼の大切なお母さんは手作りらしきエプロンをして、食器もスプーンも、テーブルクロスも、家具も、可愛らしい装飾がほどこされている。それらどれをとってみても長く大切にされているお母さんの優しさが伝わってきた。こうした様子はロシア極東・シベリア地域の人と暮らしの主流といっていい。都会の若者はまたちがうのだろうが、私にとっておそらくこのときが、ロシア人らしい暮らしにふれた最初だったと思う。

オフィスにて。沖田さんの会社のアレクセイさん、アクショーノフさん、沖田さん

この旅あたりから私は次々と、新しい出会い、新しい場所へと導かれ、面白いことにぶちあたっていく。
幸いにも私の実家は首都圏にあった。両親もまだ元気でいたので、会社時代の貯金を切り崩しながら私は興味の赴くまま人に会い、本を買い、ロシアに通(かよ)った。
ロシア取材を通して学んだものの大きさは計り知れない。ところが、肝心の、仕事という点においては鳴かず飛ばずであった。
「ノンフィクションを書くのにはたいへんお金がかかる。取材にお金も時間も手間もものすごくかかるわりには小説に比べて評価は低く、発表の場は少なく、本もめったに売れない」
私が現役編集者だった時代に、ノンフィクションライターの方がそうこぼしていたのを思い出す。
「そうだよなあ・・・」
あのとき、あの書き手に、もっと寄り添ってあげていたら――しかしいまとなってはもう遅い。
ちっとも儲からないのに、これを仕事と呼んでいいのだろうか・・・
しかし私はもう、走り出してしまっていた。

<つづく>

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