第43回ロシア人には「ダーチャ」がある

ロシア人の友達もたくさんできて、家に招かれるなどするうち、私は極東を含むこのシベリアという地域の人びととその暮らしに、ますます惹かれていく。

かつて行き過ぎた資本主義にまみれていた私から見ると、彼らは地に足がついていた。よけいな贅沢をしない。<消費が娯楽>になっていない。そして、自然と一体化している。

有名な話だが、ロシア人には「ダーチャ」がある。

ソ連時代の政策で、国民は土地を与えられ、そこで自作農をあたりまえのようにやっている。町には商店やスーパーももちろんあるが、おおかた自給自足もできるほど、各家庭は自立している。

そして人びとは小さいときから自然とともに生きることを、徹底的に叩きこまれる。小学校の授業でも、環境問題について学ぶ科目が必修になっている。

そうして育つロシア国民のほとんどが、私の目にはシロクマや野ウサギに見える。「空、森、川、土、風・・・がないと、死んじゃう」
そんな人が多い。
そして彼らは国を失ったことがある。
その絶望と混乱から立ち直った強さも、私は感じていた。

あのときロシアで餓死者が出なかったのは、ダーチャのおかげと言われている。国内世帯の8割が菜園を持ち、じゃがいもなどを自主生産していた。

日本でもダーチャをやればいいのに・・・ソ連崩壊後の経済危機からロシア国民を救ったダーチャの制度を日本にも導入すれば、食糧自給率の向上や過疎化のすすむ農村の問題も解決への道も開けそう――そんなことは私が思いつくまでもなく、とっくのとうにやっている方々がおられ、「日本版ダーチャ」という試みは日本のあちこちで生まれてきたが、なかなか現実は厳しいようだ。やはり先立つものが・・・政府や自治体がしっかり予算をつけ、環境を整備してくれないと長続きしない。活動の輪は広がらず、やる気のある人たちの心は萎えてしまう。

もとはモスクワにいた貴族や文化人たちが郊外に、保養目的だけでなく文化の発信地を形成したのがダーチャのはじまりといわれ、革命後の政策(コルホーズ・ソフホーズによる、自営農民の賃金労働者化)をへて、一般大衆にも土地が与えられ(ダーチャの語源はダッチдать=与える、の意)いまのかたちになった。ダーチャと似たような市民農園のとりくみはイギリスでもドイツでもなされている。

平日は都心で過ごし、週末になるとダーチャへ向かう。

私のロシアの友人たちも、そうした暮らしになじんでいる。そして夏には長期間をダーチャで過ごす。そんな時期に私が訪露し、ダーチャに泊めてもらったときのことは、
ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」などにも書いたことがあるが、ちょうど夏だし、その話を今回より、当コーナーでお届けしていこうと思う。

イリーナのダーチャで

当時、和光大学で非常勤講師として「編集の現場」という授業の先生をやっていた私が、夏休みに入り即、北京へ飛ぶところから、話ははじまる。

<つづく>

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