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第96回ダッタン人の踊り(18)新しいクラリネットを買う

バンナイ先輩の訃報をきいたのは、前回の原稿を上げた直後だった。 ショックで口もきけないくらい、おどろいた。 ずっと会っていない人だけれど、もう会えないなんて悲しすぎる。 いま書いているこの原稿をいつかまとめて、バンナイ先輩に読んでほしかった...
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第95回ダッタン人の踊り(17)リードミスというミス――エリクソンの「序曲祝典」

「新冷戦」とよばれる時代に入っていた。 前年の終わりにソ連がアフガニスタンに侵攻、それに対しアメリカが報復介入。かわいいミーシャがマスコットのモスクワ=オリンピックに西側諸国が軒並み不参加を表明したというその夏、私たちは初めての「コンクール...
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第94回ダッタン人の踊り(16)リード楽器という楽器

先だって朝日新聞の短期掲載で「佐治薫子とジュニアオーケストラ」というコーナーがあった。そこに、こんな記事。 ハーモニカとアコーディオンは「リード楽器」と呼ばれる。ハーモニカは息、アコーディオンは蛇腹のふいごで空気を送りこみ、リードという真鍮...
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第93回ダッタン人の踊り(15)初めての独奏――春の歌(メンデルスゾーン)

春休みのある日、Zに呼ばれた。 Zとは、くりかえしになるが、わが中学のブラスバンド部創設者で顧問の横山乙和、「乙」の字から、生徒たちにゼットと呼ばれていた理科の横山先生のことだ。 私やコジマ君は中学三年生になって、もうじき新・一年生部員を迎...
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第92回ダッタン人の踊り(14)男子の時間 ――祝典行進曲

安くて質の良い日本製品が海外へ流れ、高い評価を得て、どんどん売れていった。 貿易黒字とともにジャパンマネーの地位も高まっていき、円相場は1ドル290円から上昇しはじめ、78年10月には1ドル170円に。 80年代に突入すると、自動車生産台数...
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第91回ダッタン人の踊り(13)シングル・リップとダブル・リップ

私はその日をイメージしてみた。 ほんとうにその日が、やってくるのだろうか? 長らくあの場所から離れていた私には、なんだか信じられない話だった。 港区のビッグバンドに、私は二十代の終わりから在籍していた。 2013年にそのバンドを去って、以降...
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第90回ダッタン人の踊り(12)むずかしいクラリネット

「私はクラリネットを吹いてます」 と人に話すと、 「・・・じつは自分も、やってたことがあるんですよー」 と返されることがある。 それはあんがい少なくない確率で、ある。 中高で吹奏楽に打ち込んだ人の人口は多く、なかでもクラリネット・パートは人...
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第89回ダッタン人の踊り(11)東京佼成ウインドオーケストラとの再会①

海では鄭和に任せた永楽帝が、陸ではみずから指揮を執り、モンゴル高原やシベリア、カザフから東ヨーロッパのリトアニアなどへ出かけて行った。 永楽帝がタタールに戦争を仕掛けた話から、タタール→ダッタン人の踊り→吹奏楽部の思い出・・・と長くなってい...
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第88回ダッタン人の踊り(10)オデュッセウスの大航海 ~オデッセイ序曲③

紀元前15世紀、バルカン半島南端のミュケナイ(ミケーネ)という地域で、文明が生まれた。王が君臨し、王制を敷いて、農作物や家畜を育てる民から税をとっていた。青銅器や陶器、剣や甲冑の製造もおこなわれていた。代表的な遺物に、トロイア戦争でギリシャ...
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第87回ダッタン人の踊り(9)超能力者の予言 ~オデッセイ序曲②

私には、子どもがいない。 大学を卒業して就職して以降、ずっと同じ会社ではないが、いわゆる「お勤め」をしてきた。出版社の編集者だったので、一般的なサラリーマンのライフスタイルではなかったけれど、とにかく仕事が好きで、働き詰めの毎日を送っていた...