ラーゲリの先輩は、長い暗闇をどう生きてきたのだろう――
私は父から聞いた彼らの話がその後も忘れられず、なんだか他人事とは思えなかった。とくにXさんが働いたという「マガダン」が気になった。
「Xさんに、会ってみたいな。会って、マガダンの話をきけないかなあ」
そう父に訊くと、「死んだ」とだけ、答えが返ってき、それからは口を閉ざしてしまった。(第32回)
それでも「マガダン」への思いを抱えて過ごしていた、ちょうどそのころのことだった。ある研究会の打ち上げの席で、
「あ~、あんたがミルコさん?」
名刺を出した私に、思いがけず明るく応じてくださったのは、シベリア抑留研究者の長勢了治さんだった。
そもそもは、クロテンをさがしにロシアへ行った私であるが、そうこうするうちいろんな学者さんやジャーナリストたちに出会っていき、その集まりはシベリア抑留の勉強会の一つだった。高校の先生、新聞記者、大学講師、そして抑留体験者のご遺族、なども参加していた。
私の研究の柱が「クロテン」であることに依然変わりはなかったが、父から聞いた北洋材貿易業界の先輩――OさんやXさん(第32回)の話が心に残っており、しだいに「シベリア抑留」への関心がふくらんでいったのである。
長勢さんは北海道の美瑛町在住なので、めったに会には来られない。
その日、たまたま、いらしていた。
私のことを「アイハラさんから聞いている」と、長勢さんは言った。
アイハラさんとは北海道新聞の相原秀起記者。新聞記者にして冒険家、である彼はこれまでに大黒屋光太夫や間宮林蔵の軌跡、シベリアのマンモスをたずねるなどの壮大な旅を敢行(『ロシア極東 秘境を歩く』(北海道大学出版会)などの本にまとめられている)、私が初めてお会いしたのはビキンのタイガで、だった。
当連載の前半に書いたが、あのとき私は「クロテンをたずねて」ビキンに入った。いっぽうアイハラさんは「蝦夷錦をたずねて」ビキンへやってきた。
そして「クロテンと蝦夷錦」、どちらも北方民族研究につながる取材場所・ウデヘの村<クラスニヤール村>で、鉢合わせしたのだった。デステニーである。
ロシア極東から帰国後も交流を重ね、私が札幌の北海道新聞社に彼をたずねとき、
「ミルちゃん、この本しってる?」
と、ぶ厚い本を手渡された。
それが長勢了治さん著の『シベリア抑留全史』(原書房)、600ページを超える大著だったのである。
それなので、
「あ~、あんたがミルコさん?」
と長勢さんに言われたときも、
「はい、あの本の・・・!」
・・・と、これまたデステニーだった。
前掲の書より、マガダンにふれる最初のくだりを、ここにご紹介しておく。
*斜字部分は引用です『シベリア抑留全史』第二章P39、P43より
不敗を誇る日本軍は「敗戦」がどういうものかわかっていなかったし、まして敗戦後どうすべきか考えていなかった。これがヨーロッパ大陸で戦いに明け暮れ、何度も苦杯を舐めてきたドイツとの大きな違いだった。初の「敗戦」で茫然自失した日本人ほど、アメリカにとっても、ソ連にとっても御し易いものはなかったであろう。
(1945年)8月22日には関東軍総司令部は庁舎の明け渡しを要求されて海軍武官府に移り、軟禁状態となってまったくその機能を失った。そして9月5日には総司令部は武装解除され、翌日、新京の将官全員と副官、幕僚などの将校50数人がハバロフスクへ連行され郊外のダーチャ(別荘)に収容された。ここに関東軍は終焉した。
その後の満州と北朝鮮で起きた未曾有の悲劇は、国家と軍隊が解体し無秩序となったときどこでも起きうる悲劇だった。無権力状態に置かれた国民ほど悲惨なものはないのである。(中略)
そして南樺太・千島へ、ソ連軍が侵攻。もともとアメリカ軍からの侵攻に対処する重要な拠点だった北東地域が、攻められる。
日本では今なお、本土で地上戦が行われたのは沖縄だけだ、との謬論が流布しているが、事実は樺太と北千島でも果敢な地上戦が闘われたのである。
(千島列島北端の)占守島で戦った日本兵のうち約4000人がロシア極東北部のマガダン州第八五五収容所へ送られた。ちなみに、この中には43年7月の奇跡のキスカ島撤退作戦で生還した5200人の一部も含まれていた。ここにはダーリストロイ(極東建設総局)があり、囚人が収容所で強制労働に従事していた。内陸部のコルィマの金鉱はロシアの囚人すら「生きて還れぬ地獄」「死のコルィマ」と恐れるところだった。ソ連が占守島で多大の犠牲者を出したことへの報復として最悪の地に送られた、とここに送られた抑留者たちは感じていた。
研究会のみなさんがビールを飲みながら談笑するなか、私は長勢さんのとなりに位置をとり、次回作について聞きだしていた。
「マガダン抑留」に絞って本を出したいと思っている、長勢さんがそうおっしゃったので、私はますますデステニーを感じた。
「私もマガダンに惹かれているんです。本が出たら、必ず読みますね」
<つづく>
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