国を越えて人々が文物を交換するグルグル・ポイントが、古来より世界のあっちこっちにあった。
その一つに、18~19世紀にわが国の北方で栄えた、「サンタン」がある。
サンタンとは現在のロシア極東のアムール川下流域とサハリン(樺太)あたりの地域で、そこで扱われた主な交易品は「絹」と「毛皮」。
当時の二大贅沢品「絹」と「毛皮」、その両方を扱うのに好都合な・・・つまり、ヨーロッパ~中央アジア~中国~朝鮮半島を結んだ「絹」の道(シルクロード)と、中国~北海道~千島列島~カムチャッカを流れた「毛皮」の道(ファーロード)、どちらとも融合する、まさに交易のグルグル・ポイントにいた人たち・・・彼らは「サンタン人」と呼ばれていた。
アムール川下流域とサハリン(樺太)に住み、中国や日本を相手に、二大贅沢品を取り引きしていたこの人たちは、この地域のいわゆる先住民だ。
その末裔ーー現在のナナイ、ウリチ、ウィルタ(オロッコ)、ニヴフ(ギリヤーク)などの人たちがそうであるように生活の基本は「漁撈・採集」「狩猟」、そうした先住の人びとが文明人との経済活動に関わる場合、先住民が文明人に搾取され、酒を飲まされ身を持ち崩し、社会が荒廃する・・・といったことが先史より繰り返されてきたのはみなさまご承知のとおり。
ところが、である。
この「サンタン人」なる人びとは、むしろ文明人たちを手玉に取って、転がしていた・・・らしい。
ここでいったん、前回(第6回)の話に戻る。
「たとえばみんな、アイヌに対してとかね、狩猟・採集をしている人たちというのは、縄文時代のまま生活してるんじゃないかというイメージでいるでしょ?」
と、北方民族研究者の佐々木史郎さんがおっしゃったところが、前回まで。
この発言のあとには、こう続く。
「そうではないんですよね。極東先住民研究に取り組んでいるぼくの姿勢としてはーーやはり日本の人たちに理解してほしいことがあってーーそれは、彼らもぼくらと同じように歴史を積み上げてきて、いま在(あ)るんだということ。
とくに17世紀以降、江戸時代ぐらいからは、彼らとぼくらは同じ歴史を歩んできた。
アイヌだけじゃなくて、極東ロシアや中国東北地方の人たちも同じです。
清ができて、それがヨーロッパ列強の前に敗れて、清が崩壊、中華民国になって、ロシアはロシアで革命がありーーというのと、彼ら先住民も同じようにその歴史を歩んできているーーことを、証拠を突きつけて、示したい。
漁撈・採集は農業などに劣るような原始的な仕事じゃないぞと。
それは高度に知的な活動だし、ひとつの産業であり、彼ら先住民も資本主義の一翼を担っているんだ、と言いたいし、証明もしたい」
当時みんぱくの教授だった佐々木史郎さんには、『北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人』という著作があった。
サンタン人のクロテンがなければ、清の宮廷も成り立たなかったくらい、彼らの経済活動は重要だったという佐々木さん。
サンタン人のクロテン交易について学べば、私の命題「消えたクロテン」の行方を知る手がかりになるのではないか?
私の<クロテン研究>には、この先生の教えが欠かせないと見定め、真っ先に会いに行ったのだった。
<つづく>
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