第6回 クロテン村の住人

ガタガタ道を走ること数時間、<森の民・ウデヘ>の住む村に到着する頃には、全身が壊れそうになっていた。

乗り物酔いはピークに向かおうとしていた。

手足の先が冷たくなってきた。

朦朧とした意識の中で、ここに至る経緯を振り返ってみる。

ただひたすら、何かに導かれてここへ来たことはまちがいない。

何かとは、何かつよい、大きなもの――、それは確かなことだった。

それに呼ばれて、森の奥へ奥へと進んでいる私・・・

苦しい苦しい、苦しいよお・・・ああ、もうこれ以上はムリかも・・・!

と思った矢先に、視界がひらけた。

ビキン川の橋が、目前に出現した。

ハバロフスク市内を出発してから7時間、ウデヘの村に、とうとう私は着いたのだった。

「ビキンへようこそ」――「ヴォン・ボヤージュ!(なぜかフランス語)と書かれた木の看板に、私は抱き着き、その場にへたり込んで、空を見上げた。

空は高く、青く、雲はふっくらとしている。

濃い緑がつよく匂いを放ちながら、川の両側に押し寄せてくる。

ビキン川の流れは速く、川の向こうに見える家々の手前で水面(みなも)がさざ波立ち、キラキラと光っていた。

それはもう、着くまでの悪路の苦労がぜんぶ吹っ飛ぶくらいの、輝きだった。

タイガへの道は人生のようだな、と少し泣きたくなった。

「よくがんばりました」

アップダウンの激しい道に耐えたクルマとタイヤをねぎらい、ドライバー氏に礼を言うと、民家に向かって私たちは歩き出した。

私の滞在する<クラスニヤール村>の近くに、<クロテン村>があるという。

『ミルコのファーロード』の物語としてはぜひそっちの村に泊まりたいところだが、今回ご縁があったのは<クラスニヤール村>だった。

といってもこの一帯はみなクロテン業に関係しているそうなので、どの村にステイしてもそう違いはなさそうだ。

ウデヘのほか、ナナイ、ウリチといったツングース系先住民(シベリア・中国東北地方北部の少数民族をさす総称で、エベンキとも言う)が多いこの周辺ではみな、大昔から変わらず狩猟を主な生業としているのである。ということで、本稿では<クラスニヤール村>を<クロテン村>と呼ばせていただくことにしよう。

村びとのほとんどがクロテンがらみの人物と言えなくもないほど、多くの人がクロテンのことをやっている。

私の導かれた場所は、まちがっていなかった。

かつて帝国の栄華を支えたクロテン、消えてはいなかった。

この地では今も、人びとの経済と暮らしにクロテンが大きくかかわっている。

村人は山に入り、罠を仕掛けてクロテンを捕る。

ソ連時代には国営狩猟組合へ毛皮を売っていたが、いまは自分たちで狩猟組合を作り、そこを通じて捕ったクロテンを換金している。

組合はクロテンを選別して値を付け、商品化可能な状態にして市場へ送る。

国家によって確保されていた販売ルートが閉ざされたという点をのぞいては、昔も今も、彼らはおんなじことをやっているだけ。

「必要な分しか捕らない」

それが続けられている理由なのだろう。

人間が自然の中に入るとき、人間も森の一部となる。

その掟を、先人の代からずっと守り続けている人たちなのだ。

どんな場所にも「先人」はいる。

国にも、会社にも、いる。

私たちが来る前に、耕した人。私たちが来る前に、仕事をした人。

その人たちがいるから、いま私たちは仕事ができる。

つまり、生をいとなむことができている。

前に誰かが何かをしたことは、たいてい目に見えない。

しかし誰かがいて何かしらの働きをした事実――その事実の積み重ねの前に私たちは想像力を使う必要がある。

その想像力が、その土地や場所の、よい面を守り、さらに発展もさせる。

目に見えないそれを、けして踏みにじってはいけない。絶滅させてはいけない。

「ここに生きてきた先祖たちが、今も見ている」

とウデヘは言う。

先住民と原始人とはちがう。

先住民ときくと、「未開の地の人たち」を想像される方が日本人にはわりと多いがそれは誤解だ。

「シベリア先住民の村を旅している」

と私が人に話すとき、電気も水もない場所を想像される方もおられるが、彼らはちゃんと現代の、文明生活を送っている。

村には学校もお店も郵便局も病院もある。

ロシア語教育を受けているのでロシア語を話すが、ツングース系の言語も持っている。

彼らは先住な民なのであって、いまはロシア国家に属しているけれど、ロシアがロシア国家になる以前からずっと彼らは同じ民なのだ。そして今も。

「たとえばみんな、アイヌに対してとかね、狩猟採集をしている人たちというのは、縄文時代のまま生活してるんじゃないかというイメージでいるでしょ?」

と話してくれたのは、北方民族研究者の佐々木史郎さん。先に挙げた(第3回 罠にかかったクロテン)『ロシア狩猟文化史』の執筆者の一人である。

<つづく>

 

*太字部分は『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)より抜粋(参考文献は、書籍の巻末に掲載しています)
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