第93回ダッタン人の踊り(15)初めての独奏――春の歌(メンデルスゾーン)

春休みのある日、Zに呼ばれた。

Zとは、くりかえしになるが、わが中学のブラスバンド部創設者で顧問の横山乙和、「乙」の字から、生徒たちにゼットと呼ばれていた理科の横山先生のことだ。

私やコジマ君は中学三年生になって、もうじき新・一年生部員を迎えるという季節だった。

私だけが呼ばれたので、なんの話だろう?と理科準備室をたずねると、白衣姿のZは言った。

「入学式のあれさぁ、やってみないか?」

Zは「あれ」とか「それ」の多い人だ。

やってみないか?ではなく、やってくれ、だったかもしれない。

「あれだよ、『春の歌』とかさ、去年ハナダがやっただろ?」

もしかして、入学式でのソロ演奏・・・⁈

一年前の春、新・一年生を迎える式典で、ハナダ先輩がすばらしいフルート演奏を披露したことは知っていた。

ハナダ先輩とは、「ポンス・デ・レオン序曲」のA-B-AのBのところでバンナイ先輩と掛け合いのソロを吹いた、美人フルート奏者である(第85回ダッタンの踊り7)。

「あれ、ですか・・」

云いながら、ハナダ先輩の楽器を構える姿と微笑が浮かんで、急に心臓がドキドキしだした。身体の内側からうれしさが涌き上がってき、爆発しそうだった。

 

あのときハナダ先輩が体育館のステージでリハーサルしていたのを、私はたしかに聴いていた。

優しい音色、上品な身のこなし、彼女が演奏者の鏡のような存在だったうえ、そのとき初めて聴いた「春の歌」(メンデルスゾーン)のメロディーに胸打たれたことをおぼえている。

「はい、やります」ともちろん言ったにちがいなく、譜面をもらって、さっそくピアノ伴奏の人と合わせることになった。入学式まであまり時間がなかったのか、すぐ体育館のステージでリハーサルに入った気がする。

 

放課後の体育館は、バレーボール部やバスケットボール部の練習場所でもあった。

ボールの弾む音や部員たちの掛け声が響くなか、体育館のステージ下手に置いてあるピアノのそばに楽器を持って立つ。

譜面どおりに吹くと、ピアノさんと合わない。

フルートはC管で、クラリネットはB♭管。フルートのドはピアノのド、でもクラリネットのドはシのフラットだ。ふだんは当然のようにB♭用の譜面が与えられて、そのまんま吹けばよかった。吹奏楽ではみんなが私の音に合わせるが、今回は、ちがう。私がピアノに合わせる。私は「移調」というものを初めてやった。

 

新入生が入場するあいだじゅう曲を流し続けるのだから、「春の歌」のほかにもいろんな曲をやったはずなのに、ハナダ先輩の記憶とセットになっているので、いまとなっては「春の歌」のことしかおぼえていない。

フェリックス・メンデルスゾーン(1809‐1847)はショパンやシューマンと同時代の作曲家・ピアニスト。裕福なユダヤ人家庭――幼いころから家でサロンコンサートが行われるような環境に生まれ育った。「春の歌」は『無言歌集』としてまとめられたピアノ小品曲集の一つで、フェリックス少年の最愛の姉・ファニー(彼女もピアニストとして活躍)の作品も含まれるとされている。

あらためて『無言歌集』で「春の歌」を聴いてみると、美しいだけでなく、ちょっとユーモアを孕んだ音の飛び方や妙な展開は、まさに神様に通ずる仕事だと思える。天才は38年という短い生涯にぼう大な作品を残すが、最愛の姉の死にショックを受け、その直後に本人も死んでしまった(父も姉も脳梗塞で、その血筋だったとの説あり)。

自分のイメージと、なんだかちがうぞ・・・私のなかにあるのはハナダ先輩の「春の歌」だから、そもそも楽器がちがう。でもそれを置いても、なにかがちがう・・・? いや、楽器がちがうからこそ、これでいいのか・・・

そんなとき、体育館のステージの下から、クラリネットを吹く私を見上げる人物がいた。

それが、私の苦手な、バレーボール部の顧問Oだった。

O教諭の話は、すでに書いた(ダッタン人の踊り1)。バレーボール部で私を無視しつづけたあの人が、彼のほうから私に近づいてきたのである。

近づいてくるだけでもおどろくべきことだが、何かを私に言っている。私が固まっていると、Oは持ち前のジャンプ力でステージ上の私に接近し、なんと、私をほめた。私のクラリネットを、褒めたのだった。

 

私にとってこの「春の歌」の演奏は、生まれてはじめてだれかに頼まれて何かをやった体験だったといっていい。

それが、よりによってあのOに評価されたという驚愕の事実。

Oにしてみれば、バレーコートで思わず足を止めて音のするほうに目をやったら、球拾いで、どんくさくて、走っても飛んでも、何をやらせてもダメだった生徒がいたというわけか。いや、彼の世界に私は存在すらしていなかったのだから、透明人間が彼の眼前に出現した瞬間だった。

 

ブラスバンド部ができる前――すなわち私が中学生になって最初の数カ月、バレーボール部で、同い年で家が近所のヒラバヤシミホコちゃんという友達がいた。彼女と毎日のように、Oにビクビクしながらの球拾いやランニングでクタクタになった部活の帰り道、私たちはよくイギリス詩を諳んじながら一緒に帰った。ミホコちゃんはお父さんが大学教授とかで、家では毎晩いろんな英語詩を暗唱させられているという秀才で、自分が暗記した詩を私にも教えてくれたのだった。

マザーグースのうたやブラウニングの詩を、私たちはくりかえし口にした。

「ピッパの歌」がとくに私のお気に入りだった。

ピッパーズソング、ロバートブラウニング、スプリングハズカム・・・・・

私はミホコちゃんが声に出す詩節のあとについて、くり返す。白いブラウスを着て、濃紺色のプリーツスカートの裾を揺らしながら、おぼえたての詩を口ずさんで夕焼けのなかを並んで歩いた。

 

God’s in his heaven—All’s right with the world!

バレーボールで傷ついた羽は、いつのまにか生え変わっていた。

<つづく>

 

参考;『メンデルスゾーン無言歌集 ピアノ演奏 レナーテ・ショルラ』(キングレコード、ブックレット解説・青澤隆明)

『イギリス名詩選』平井正穂編(岩波書店)

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