第76回マラッカ王国のナゾ(8)続・宦官の鄭和

あのあと恐ろしい話を聞いてしまった。
マラッカ王国のナゾ(6)「宦官の鄭和」の回を読んだ友人が、「そういえばずいぶん前にこんな本、買ってたんだわ~」と言って、一冊の文庫本をくれた。その名も『宦官』。パラパラ開いて斜め読みすると、どうやら私の知りたい宦官情報がぎっしり。書かれたのは顧蓉こようさんと葛金芳かつきんほうさんという研究者のご夫妻で、これはもしや「宦官」を軸にした中国民族史の集大成ともいうべき大著? 古本屋さんで100円だったらしいが、ミンに熱中の私にとっては宝物との、運命の出会いではないか。

翻訳者は尾鷲卓彦さんといって、「訳者あとがき」によると著者両氏との親交が生まれる前から、「中国の官窯の世界を逍遥していて宦官にはまった」とある。官窯とは、宋・元・明・清・・・と歴代の為政者たちによって奨励された陶窯、つまり宮廷御用達の焼き物のことだ。発祥は江西省の「景徳鎮」、宋時代よりいまもつづく、陶磁器の名産地である。
景徳鎮かぁ。景徳鎮といえば私はコバルトブルーを帯びた美しい器よりも、横浜中華街・市場通りにある四川料理店「景徳鎮」を、まず思い浮かべてしまう。私は一時期、目黒区や大田区で活動しているグリーンアルファシンフォニックバンドという吹奏楽団にクラリネット奏者として出入りしていたのだが、そこのメンバー内で「景徳鎮」の四川麻婆豆腐を食べるというのが流行ったことがあり、もちろんとても辛くて、管楽器奏者の唇には良くなかったかもしれないのに、コクがあってものすごくおいしいから通った。いまでも横浜に用事ができると、「景徳鎮に寄れるかな~」と思いをめぐらせてしまう。

「翻訳者あとがき」で尾鷲氏はこう書いている。
「各時代の陶政とうせい(官窯瓷器製造に関する国家の政治行政的管理)を調べていけば、かならず宦官たちが顔を出してくる。それもそのはずで、いつの時代でも皇帝の身のまわりに関する一切の管理(掃除、食事、ベッドの用意から食器の調達、骨董品の保存などまで)は、すべて宦官がとしりきっていたのである。皇帝への貢物や宮中で使用する器物の焼成が景徳鎮に命じられるとき、それを伝達し管理するのは宦官たちだった。今日、私たちの眼にふれる、あの戦慄すべき美を内蔵する官窯瓷器には、うち消すことのできぬ宦官の影がある。それを突き止めたい、というのが、私の宦官行脚の出発点だった。」

おお、宦官行脚・・・それは私にも始まっているのかもしれない。
宦官行脚の旅のスタートが尾鷲氏の場合は陶磁器で、私の場合は鄭和・・・いや、そもそもは「マラッカ王国」であったはず。そうよ、永楽帝の命により蘇州を出発した鄭和が、チャンバ、ジャワ、パレンバン・・・と船を進めたところまで書いて、止まっている。私は鄭和の選んだ航路に沿って話を進めるつもりだったのに。しかしこの本『宦官』に出会った以上、しばらく立ち止まらないわけにはいかない。

『宦官』によれば、切除した性器が多くの場合再生される――らしい。切ったはずのおちんちんが生えてくる。人間の体ってすばらしい。この話を読んで、私は倉本聰さんの『ゴールの情景』(理論社)という本の中に書かれていた話を思い出した。
倉本さんは中学生のとき、盲腸炎の手術をした。倉本先生は1934年生まれだから終戦直後の混乱期である。家の畳に粗末なゴムの敷物をしいて横になり、野戦病院さながらの状況で泣き喚きつつ手術を受けた。で、それから五十年たったころ、患部に不具合が生じ、再手術をすることになったとき、お腹を開いた執刀医が、<腸が自分から正しい位置へ戻っていった>のを目撃したという。
「最初少しだけためらっていた。そのうち何となく恥ずかしそうに、モゾモゾと左へ戻って行った」(そのお医者さん談)
なんと愛らしく、けなげな腸であることか!
倉本さんはこの話を<多分腸奴ちょうめは僕という肉体の五十年間に義理をたてるより、何億年という人類の歴史の、あるべき姿に義理をたてたのにちがいない>(本文)という一文で結んでいる。ちなみに昨年のエッセー『破れ星、流れた』(幻冬舎)に於いてもこの話――「ちゃんと元へ戻る」ことの尊さがユーモアたっぷりにしるされており、倉本聰氏の自伝に欠かすことのできないエピソードなのだと思われた。

宦官の性器も、そのひと個人はもとより連綿とつづいてきた人類の歴史のなかで、自分(性器)の本来あるべき姿をおぼえていて、必死でそこへ戻ろうとしていた――
じつをいうと、私自身にも経験がある。
2002年に左足首粉砕骨折という大怪我をした話は、これまで何度も書いてきたのでここでは省くが、その怪我で私の左くるぶしは粉々に壊れてしまっていた。ところが、20年ほどたったあるとき、ふと自分のくるぶしをじっくり見てみたら、なんと、くるぶしがひっそりと復活していたのである。可憐に、ふわりと、失ったはずのくるぶしが小さく生まれていた。これ、ほんと。

そんなわけで、性器が再生する話は受け入れられる。恐ろしい話というのはそこから先だ。再生した性器をまたもや切る。つまり性器切除は一回で済まない。宦官は一生を送るうち、何度か同じ手術を受けなければならないというのだ。度重なる激痛・・・私があの骨折をもう一度やるようなものだが、じっさいそうしたアクシデントに見舞われた身であるからこそ、私は宦官行脚に出かけずにおれないのかもしれなかった。

<トメ>

参考 『宦官 中国四千年を操った異形の集団』顧 蓉、葛金芳 著 尾鷲卓彦訳(徳間文庫)
『ゴールの情景』倉本聰(理論社)

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