第69回マラッカ王国のナゾ(1)

私の滞在したシンガポールは、マレー半島の南端に位置する小さな国だ。
国家としての歴史は浅い。1965年8月に独立。それまではマレーシアの一部だった。
資源も水もなく人も少なかったシンガポールは、海外とつながることによって発展を遂げてきた。ヨーロッパと中国を結ぶ貿易ルート上ちょうどよいポイントに位置し、貿易船の補給港として、アジア各地から物産が集まる貿易中継地として、綿布やアヘンがインドから、茶・絹などは中国から届き、物産とともに商人や労働者も集まってきた。
1819年から統治に入ったイギリスは、シンガポールを発展させようと関税免除の自由貿易港とし、移民労働者も非課税とした。そうなるとそれまでオランダの支配下で貿易していたブギス人(インドネシア・スラウェシ島南西部の民族)や、アラブ商人・インド商人ら世界各地の商人がシンガポールに集まって、ここは東南アジア貿易、海運、銀行、保険、などの中心的存在となる。

「小さな生き物にはそれぞれ独自の防衛メカニズムが備わっている 我々も、自分自身の生き残りのテクニックを見つけなくてはならない」
これはシンガポールを独立へと導き、長くこの国をおさめた政治家リー・クアンユー(1923-2015)のことば。彼は交易地としてのシンガポールのさらなる発展させるべく「個人より国家を優先する教育」に力を入れ、ナショナルアイデンティティを重視、対立しがちだったマレー人と華人らをまとめてゆく。

さらに、お得意の外国人優遇措置――有能な企業家をあちこちから呼び込んで、シンガポールでビジネスをしてもらう。マレー人、華人、インド人などから勤勉な労働力も得て、生産輸出をぐんぐん伸ばし、マレー南端の小国は世界に誇る商業国家へと発展した。その理由をイギリスのおかげとする話もあるけれど、そのもっとずっと前から、この地域の人びとは交易で力をつけてきた。いま商才を発揮しているシンガポーリアンたちの大先輩にあたるのが、かつてマラッカ海峡で交易をしていた人びと――古代マラヤ人である。

マラッカ海峡はインドネシア領スマトラ島とタイ、マレーシア領マレー半島に挟まれた南北に細長くはしる海峡である。幅は60キロ、長さは800キロにおよぶ。この海峡をまたぐようにして、かつて栄えた国家がある。マラッカ王国(14世紀末~1511年)だ。当時の地図を見ると、現在のシンガポールもふくまれている。
マラッカ王国は東西交通の要衝として、スパイスや茶の貿易の中継地となって発展した。インドや中東からやってくるイスラム商船を受け入れ、燃料補給や商売の手助けをしただけでなく、イスラム教の布教も担っていた。いまでもマレー半島の国・マレーシアがイスラム教国家であるところは、われわれにとっても身近な話。

このマラッカ王国に私が興味を引かれるのはまず、マレーシアとインドネシアにまたがっているところだ。ふつう、大きな河川や海峡は国境となる。けれどもこのマラッカ王国は、両島の端っこ、沿岸部分を合わせて「国」としていた。海峡をはさんでまたがる国なんて、為政者はやりづらいだろうし、かといってこの土地に住む人が考えるだろうか?こんなこと。当事者はまず考えないと思う。

<つづく>

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