第54回ミルコ、ミルト(美流渡)へ行く②

北海道の道は、広い。ロシアのよう。
遠くにゆったりと連なる山々に向かって、えんえん続く広い道を、ぐんぐん進んだ。
道はあっちゃんにとって慣れたもののように見えた。そしてしばらく行くと、こう言い出した。
「このへんの病院に、私、入院していたことがあるんだ」
なるほど、ショウちゃんの道案内をすばやく呑み込んだのも、そのためだったのか。
入院は20年も前の出来事だそうだが、その後もしばらく通院が続いていたらしい。
彼女にとってそこが懐かしい場所かどうかは、はかりかねた。
私だったらどうだろう? 乳ガン治療をしていた病院へ、近くに来たからといって寄りたいと思うだろうか? う~ん、微妙だよな・・・。

でもなんだか、ここへ来たのはぐうぜんでない気がした。
ミルト行きはその場の思いつきであったものの、何かに導かれて進んでいるように思える。
「病院へ、寄ってみる?」
遠慮気味にたずねてみると、
「ううん、いい」
あっちゃんは、あっさりと断わった。

ところが、そのあと少し道に迷い、道を聞いたセブンイレブンのお姉さんの指示どおりに進んでいったら、ふたたび病院に近づいてしまった。
「なんか、やっぱり来ちゃったね~」
来るつもりはなかったのに、その場所に引き寄せられてしまったようだった。

大きな森に覆われて、外からは建物がよく見えなかった。何も知らない私にとって、そこは秘密めいた場所に思えた。
着いたら着いたで、あっちゃんは懐かしそうに病棟を見上げ、その上のほうの階を指さして、言う。
「あの階のね、いちばん端っこの部屋にいたんだー」
へえ~、と言って、私も病棟を見上げる。日差しがつよい。
「私は退院できたんだけどね、あの病棟には一生、出られない人たちがいるの」

かつて炭坑の地として栄えた場所で、採炭に従事されていたことによって肺を患い、長期間その病に苦しめられている方々のことを、あっちゃんは指していた。
「じん肺患者」という人びとである。

戦前から戦後にかけて、<黒いダイヤ>とよばれた石炭は、日本の近代化を支えるエネルギー源であった。
国や企業は、その増産に明け暮れていた。
無謀な増産計画は、いつしか労働者たちの肺を病ませた。
<炭じん>とよばれる、炭坑内に舞う微細な石炭の粉を多量に吸い込んでしまったのである。

<炭じん>が原因である<じん肺>という疾患は、現代医学でも治療が難しいとされており、病院で治療を受けても一生治らない。悪化さえすることがあるらしい*。

<じん肺>にかかると息切れし、咳や痰が出て、やがて肺炎・肺結核などを併発して死に至る。
咳は、苦しい。
私は「マイコプラズマ肺炎」というやつにかかって、死にかけたことがある。
高熱がつづき、ふつうの薬は効かず、肺をひどく病んで入院、退院後も体力の回復に時間がかかった。いま世界を震撼させている新型コロナウイルス感染症の症状も、私はまだかかっていないけれど、ああいうものと推察している。

<炭じん>は、いったん肺に入るとどんどん線維増殖して、肥大化していくのだそうだ。ウイルス性疾患ではないが<じん肺>も、微細なものが体内に入って増殖するという点では似ている。しかし<じん肺>は他人にうつることはない。患者はただひたすら自分の体内に病の種を抱え続け、それを生涯かけて育ててしまうのである。

労働者が山に入り、山に穴をあけ、そこをツルハシなどで掘って石炭を採る――炭坑の仕事がそういうものであることは学校で習ったし、そうした石炭採掘業は国の政策によって奨励され、戦後の復興と高度経済成長期の日本を支えてきたことも、知っている。石炭の採掘が、過酷な肉体労働であったこと、ならばその後遺症をともなうであろうことも、想像がつく。
しかしながら、エネルギーの主役が石油や原子力に代わり、石炭産業が衰退してしまった今なお、何十年も前の労働の後遺症に苦しめられている人がいる。その存在に直面したことは、これまでなかった。
彼らがいま、あの病棟に――?
20年前にあっちゃんと入院していた人たちも、亡くなっていなければ、いまもあの部屋にいる――
「中には怖そうな人もいたんだけどね。勇気を出して話しかけてみたら、すごくやさしい人たちだったんだ・・・」
あっちゃんは病棟の上から顔を戻すと、遠い目をしてハンドルを握り直し、前を向いてふたたびクルマを発進させた。

<つづく>
*参考文献;『黒い肺』沢田猛 著・未來社

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