第55回「もっと、もっと」の罪

いつの時代にも懸命に働いた人たちがいた。
その人びとは、ただひたすら目の前の仕事にまっしぐらに取り組んでいたはずである。
一生懸命、やっていただけ。それなのに、情熱をもって仕事をしていたその日々が、いつしか自分自身の身体をむしばんでいた。

周囲のニーズに応えて、どんどん量産しなければならなかった時期は、当然あっただろうと思う。仕事とは、そういうものだ。労働者も、その家族も、会社も。国全体がそうして豊かになってきた。

ところが、そうした中でさんざん掘って、採って、儲けて、もうじゅうぶん間に合っているのに、「もっと、もっと」と思う人たちが、いた。

ずっと右肩上がりでいく、わけがない。
自然を壊したら、必ずその反動がくる。
作用があれば、反作用がある。副作用、もある。
しかしそこのところは、<目の前モクモク>で仕事に取り組んでいる人たちにはなかなか見えづらい。全体を見渡して、冷静かつ勇敢な判断をする誰か、が必要だ。
「このへんでちょっと、考えませんか?」

好調な時にこそいったん立ち止まり、働き手にはきちんと労働への対価や保障を与えながら、「このままのやり方で進んでいっていいか、見極めます」って言う賢いリーダーがもしもあの時あの場所にいたら。

いったんゼロになる勇気。
みんなをそこへ導ける人がいたら。
「もっと、もっと」に応えようと頑張って、「もっと、もっと」に呑み込まれてしまった人たちは、大病で一生を棒に振らずに済んだ。

たとえばイギリスに学んだ人とか、いなかったのかなあ。
100年前に、「じん肺」が出ていた国だ。
蒸気機関の発達には、石炭の増産が欠かせない。

賢明な人というのはきっといつの時代にもいて、あの時代にもいたはずなのである。
その人が声を上げても、「もっと、もっと」派の人に消されてしまったのだろうか。
掘り過ぎ、採り過ぎ・・・そして病が残った。

「もっと、もっと」を途中でやめることは、むずかしかった。
とかく人間は、その時期を見極めることの苦手な生き物だ。
それを物語っているのが世界の歴史ということか。

「じん肺」という病は、すぐに発症しないらしい。
労働者が仕事をやめてしばらく経ったあと、場合によっては現場のヤマが役目を終えて(閉山して)から発覚する。

戦後、「シベリア抑留」で、炭坑の仕事に従事させられていた人びとが、帰国して何年も経ってから肺病を発症した「シベリア珪肺」とよばれるものもある。<現役中>には、わからないということだ。当事者(労働者)が現役時代の組織や会社に訴えにくいということが、この問題の闇を深くしていると思える。

現役中にはわからない、ということでいえば、他業種でも同じだった。
自分が担っているのはワン・パートなのである。
私はがんばっていたと思うし、私のまわりの人たちもすばらしかった。
けれどもあれが正しいグルグルであったのかどうか――は、自信をもって言えない。

地球は余り余った産物を抱えて、悲鳴を上げている。
中国の好調に応えて、山や地面を掘りに掘った資源国は、苦情のやり場に困っている。
それらは巡り巡って、世界経済を減退させている。

みんなよかれと思ってやっているのに、それがありがためいわくだなんて。
「もっと、もっと」と言われてがんばってきたのに、減速? 成長のまちがいじゃないの?
いいえ、まちがいではありません。
大きくなりすぎれば、壊れる。
自分の身体に置き換えてみればカンタンです。

人間以外の動物はちゃんとできていて、人間だけができていない、「もっと、もっと」との決別。それができたらあらゆる問題が解決する――いや、ちょっと待って。そんなことは可能なの?
いったいどこの誰がいつ、「もっと、もっと」にストップをかけてくれるのだろう。

目に見えないものと競争してクタクタになっている、中国の都会人を思った。
北京空港からハイラルへの機内で出会った、あの中国人女性に、<ココロの平安>が訪れる日は来るのだろうか・・・

10年後? 20年後? いや、もうまもなく、なのかもしれなかった。
ココロよりカラダが先に悲鳴を上げる日は近い。

<つづく>

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