第52回非常勤講師の夏休み・後半へ

毛の伸びに比例して、ニャンキーはしだいに元気を取り戻し、なんだか以前より若返った。
毛刈り直後はナメクジのようだったが、またネコになってきた。
目の輝きが増して、顔つきが愛らしくなった。
フレンドリーになり、性格まで明るくなったみたいだ。
私自身を振り返っても、同じだった。「毛」は「生」と直結していた。

短毛になったニャンキーは、イリーナの愛猫・クリスに似ている。
ブルーグレーで、両耳が折れている。私はニャンキーを見ながら、ロシアでの日々を思い出す。

イリーナは飼い猫のクリスを、溺愛していた。
当然、ダーチャへ行くときには必ずクリスをともなった。ソフトケージに入れて、ひょいと持ち上げてクルマへと運ぶ。
都市部にあるイリーナの家から郊外のダーチャへは30分ほど、ダーチャへ近づくにつれてガタガタ道となるが、その間クリスはじっと耐えた。
ダーチャへ到着するとクリスのケージは他のどの荷物よりも先にクルマから降ろされて、緑がいっぱいの庭に、放たれる。その瞬間、弾かれたように跳んだ。

私はダーチャの小屋で、クリスと二人(二匹?)きりになることが、よくあった。
私はクリスが同志のように思えた。
イリーナが汗だくになって畑に水をまき、泥まみれで土をこねているというのに、室内のベッドでごろんと横になっている、なまけもの二匹。

イリーナが農作物やお花の手入れをしているとき、クリスはたいてい少し離れた場所から、イリーナの手仕事を観察していた。
私もずっと、イリーナを観察していた。
ときどき、近寄ってみたりもした。
そうしてクリスと私は行動を共にして、いつもイリーナを見ていた。
私はイリーナのもう一匹のネコになったようだった。
イリーナの言っていることはなんとなくわかるが、自分の言いたいことはうまく言えない。相手の表情を読み取るようにしながら、瞳でうったえるのは、私とクリスのお得意である。

「イリーナたちは働き者だね」
私はクリスに、そう話しかけてみる。だってクリスと私だけが、手を動かしていなかった。
イリーナも夫のワロージャも、イリーナのお姉さんも、みんな手を動かしているのに、みんなの手仕事を見ているだけの、クリスと私。

クリスとのそうした時間は決して不快ではなく、むしろ心地のよいものだったが、やはり私はできればイリーナを助けたかった。
しかし日ごろから畑仕事をやっているわけではないので、なにをどう助けたらよいのかわからない。
草抜きひとつとっても、きっとその人好みのやり方があるのだろう。
草を抜きすぎたらよくないとか、水をやりすぎてはいけないとか、そういったことをいかに判断すればよいものやら・・・
――こんなとき、あっちゃんだったらなぁ――と思った。

<あっちゃん>は北海道に住んでいる、私の学生時代のジャズ研仲間・芹澤くんの奥さんだ。
芹澤くんは現在、札幌市福移小中学校の教員で、「てつりん法師」名で活動する伝道師でもある。
私は大学生の頃、芹澤くんに「ジャズ理論」を教わった。私だけでなく、当時の同期や後輩たちが、芹澤ジャズ・スクールで学んだ。
彼は手描きのテキストを用意して、自分のバンド仲間にジャズ独特のコードのしくみやノリについて、熱心に伝えた。私はそのテキストをいまだ大切に持っている。
語学に文法が必須なように、ジャズをやるにはやはりジャズ理論をマスターしなければならない。私の場合はちっともモノにならなかったし、あの頃の仲間で芹澤くんの授業を人生に生かせている人がいるかはわからないが、彼の娘さん・朋ちゃんはジャズ・ミュージシャンになった。テナー・サックス奏者として都内などで活動している。

そんな芹澤くんは奥さんのあっちゃんと、札幌市郊外の、木の家に住んでいる。
あっちゃんは、庭でいろんなものを育てている。
時間があると、ちょいちょいと庭に出て、土をひっくり返したり、草むしりする。自宅の庭でとれた野菜や木の実を食べることもある。
私は二人の家になんども泊まりに行っているので、その様子をたびたび目にしてきた。

あっちゃんならきっと、イリーナの動きをちょっと観察すれば、なにをどう手伝えばよいのか、ササッと絶好ポイントを察知し、首尾よくイリーナを手助けできるんだろうなぁ。
私はダーチャにいるあいだ、しょっちゅうそう考えていた。
私があっちゃんだったら、クリスに大きく水をあけられたのに。

そんな思いもあって、「非常勤講師の夏休み」後半は、北海道へ――
ニャンキーの回復を見届けてから、飛んだ。

<つづく>

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