第51回ニャンキーの「毛のない生活」

イリーナと過ごしたロシアから帰国した翌日、わが家では<ネコの毛刈り>という一大イベントが待ち受けていた。
ニャンキーは、私が六本木に住んでいた編集者時代に、六本木駅前で衝動買いしたネコだ。ネコに15万円も使ったことに、私の両親は「ミルコはとうとう気が狂った」と言った。創業期から勤めた会社が上場したあと手にしたお金で私はいろんなものを買ったが、ニャンキーのフサフサの毛は『バブル』期の自分を象徴していたように思う。

ニャンキーとウクレレ

じつはこのニャンキーは「二代目」であり、わが家のニャンキーには「一代目」がいた。
「一代目」は私が角川書店に入る前――AIAという損保のOLをしていた頃に上司の松山部長から譲り受けたチンチラで、性格も行動もおとなしい、家から一歩も出ないネコだった。
その子に引きかえ「二代目」はやんちゃ者で、小さい頃は家じゅうを走り回って、障子を破り、部屋の中をめちゃくちゃにした。やたら庭に出たがり、いったん出ると首根っこを引っ捕まえて連れ戻さないとならなかった。

さて、その「二代目」ニャンキーがわが家にやってきて十年ほどが経ったころの話である。彼女の毛はのびにのびきって、全身に毛玉ができていた。
スコティッシュ・フォールドという長毛種。「スコティッシュ」と付いてるくらいだからスコットランド出身なのだろう。お里が寒い地方で、暑さにはすこぶる弱いにちがいなかった。自慢の長いブルーグレーの毛はぐしゃぐしゃによれて、身体じゅうに固まって貼りつき、あわれな姿になり果てている。
私や母が毛を切ろうとすると、嫌がって一目散で逃げてしまう。
しかし連日30度を超える日本の夏、このままでは彼女自身も不快であろうと(あとから思えばほんとうにかわいそうなことをした)、家族会議の結果、動物病院で麻酔をしてバリカンですべての毛を刈ってもらうことに決まった。

全身毛刈りはニャンキーにとって、六本木で私に引き取られて以来、はじめての経験だった。
毛刈り当日、近所の「愛・動物病院」の愛先生にニャンキーを届けて、家で待つこと数時間。

「終わりました」との連絡を受け、再び病院へ行くと、別人ならぬ別猫のニャンキーが、ぼーっとしてケージの中にいた。
見た目は、激変した。
愛先生の腕はすごいと思った。耳からしっぽまで、どこもかしこもきれいに毛が刈り取られ、爬虫類のような肌になっている。
かつてのライオンのごとき王者の風格はどこかへすっとんでしまい、みすぼらしい身体を小さく丸めて、うずくまっていた。

クルマで家に連れ帰る途中、うんちをした。
社内に充満した排泄物臭を嗅ぎながら、ふだんはそそうなどしない、きれい好きな彼女にとって毛刈りはひどくストレスだったのだなあと思ったが、それだけでは済まなかった。
その日から下痢が続き、一週間止まらなかった。大好きなかつおぶしに見向きもしなくなり、日に日にやせ細って、このまま死んでしまうのではないかと思った。

寝てばかりいるのは以前から変わりないが、これまで以上に動かなくなり、エネルギーの消耗をしきりに抑えているように見えた。
自分の危機に、じっとする。
沈黙は、金。
長い毛をなびかせて、風を切って悠々と歩いていたのに、すっかり控えめになって、性格まで変わってしまったようだった。

「毛は大事だなあ」
私もかつてガン治療で毛(髪)を一気に失くしたことがあるので、気持ちはわかる。
どこにも行きたくないし、誰にも会いたくないのである。
ひたすらウチに籠もり、うずくまって、自分の内面だけを見つめていた。

そして、辛抱強く、毛が生えるのを、細胞が立ち上がってくるのをひたすら待っていた、あの頃――私は毛のないニャンキーの姿に、闘病中の自分を重ねた。

<つづく>

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