「・・・俺、ハバロフスク行きに、付き合ってもいいよ」
テレビ局勤務のT君が、忘年会の帰り際にそう言い出したところまで前回書いた。
救世主、あらわる。
マイナス30度の世界にたったひとりで足を踏み入れる勇気のなかった私だったが、これで一気にプランを前へ進められる。
いちばん最初に断わられたロシア旅行社(第22回)を再訪し、二人分の旅券とホテルを予約した。出発予定日は一月の半ば、私たちは成田から黄みどり色のエスセブンに乗って、ハバロフスクへと旅立つ。
出発に向けて、母に毛皮のコートを出してもらう。タンスの奥からそれを取り出すのはいつぶりだろう?
父の転勤で両親がニューヨークに住んでいたことがあり、そのときに母が購入した、婦人用のロングコートだった。
90年代の終わり頃、アメリカは大寒波で、彼らは毛皮のコートを買いにいった。
知り合いの紹介で訪ねたマンハッタンの毛皮屋は、あやしげなアパートの一室にあった。
狭い室内にめいっぱい毛皮の衣類が吊るされており、動物たちの生霊がそこここにひそんでいるような、おそろしく暗い部屋だったという。
室内の空気は埃っぽく、動物の死骸の匂いとカビ臭がし、細かい動物の毛が舞っていた。
毛皮屋の店主がその後まもなく亡くなったと聞いた父と母は、「きっと動物の毛を大量に吸い込んで、肺が詰まって死んだに違いない」と話していた。そんな店で購入されたコートは、言いようのない凄みをたたえていた。
母が豪華な毛皮を持っているのは、以前から知っていた。
ある時期、それを着てみたくなった私は持ちだして、自分用に打ち直した。けっこうなお金が、かかった。いくらかかったかを父に打ち明けると、「とうとうミルコはアタマがおかしくなった」と言った。
いまならぜったいそんなことはしない。
というのはガンになって以降、人間と人間以外の生き物の関係についてあれこれ考え、動物に対しても慎重に付き合うようになったからだ。
私のガンは乳ガンだった。自分なりに勉強した結果、乳製品やアルコールの影響を受けやすいガンであることがわかり、それらの摂取を控えることにした。お肉も元気なときはいただいていたけれど、いまは食べないので、お肉の匂いに敏感である。ちょっとでも入っていると「あ、動物がいる」と思う。革製品にも敏感である。やたら買わないし、買ったものは大切にしている。
死は少ないほうがいい。よのなか全体的に、食べ過ぎ、殺し過ぎではないかと思っている。
肉食に限らず、あらゆるものについて「ほんとうにその量が必要かどうか?」と。
摂取量が、本人の「身の丈分」を超えたとき、生き物は病むのではないか――私は私の体験から、そう考えている。
クロテンが人びとに追い回されて殺されて、皮を剥がされたという話に胸が痛む。
なんだか他人事の気がしない。
「怖かったね、痛かったね、ずっと大事にするからね」
と、私はコートに話しかける。
袖を通してみると、びっくりするほどあたたかい。
高額かけて打ち直してもこれまで着ることはなかったが、このたび着用することになった毛皮のコート。
真冬のハバロフスク行き、この時のためだったのか――
<つづく>
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