第23回ビザをとる

ロシア大使館の近くにある飯倉のキャンティで、おひとりさまランチをとっている。
会社をやめて以来、質素な暮らしに徹している私が、都内の名店にいるのにはわけがある。
なぜならビザをとるのに苦労した。なので「ひとり打ち上げ」をしているのである。
食べているのは、ブロッコリーのパスタ。メニューでは「チキンとブロッコリーのパスタ」だが、チキンを抜いてもらったので「ブロッコリーのパスタ」となっている。

ちょっと時間を巻き戻す。
「キャンセルが出ました」とツアーデスクから連絡が来て、私はロシアへ行けることになった。大至急、ビザをとらねばならない。
<ビザ申請書類はオンラインになりました>との情報は、『地球の歩き方』にも書いてあったので、申請書ページを開き、なんとかサンプルを頼りに、自分の情報をインプットしていった。
さいごの項目までたどりつき、「できた~!」と思ったら、「プリントアウトせよ」とある。うちにはプリンターがなかったので、とにかく大使館へ行けばなんとかなるだろうと、そのままでかけた。

ロシア大使館は、私がかつて住んでいた場所から近い。
六本木5丁目のマンションから東京タワーへは、ジョギングのコースでもあった。
毎日のように、ロシア大使館の前を走っていた。しかしあの頃――というのは会社時代の終わりのほうだが――私はなぜ走っていたのだろう。理由はなく、ただ「毎日走る」と決めたのだった。いったい何が私を走らせていたのか。いまはもうちっとも走りたくない。

そんなわけで、なじみのロシア大使館。いつも前を通っていたが、中に入るのは初めてだった。
入口の女性(ロシア人)に「プリントアウトしてないんだけど、ここでできる?」と聞いてみた。すると彼女は「とんでもない!」とばかりにかぶりをふり、よそへ行ってやってくれと言う。
大使館を出てコンビニに行ってみたけれど、そんなことはできないと。だよね。六本木交差点まで戻ってネットカフェはどうか、などと案をめぐらせていたところ、いいことを思いついた。
「そうだ、東プリに行こう!」
東プリとは東京プリンスホテルのこと。ロシア大使館から近い。
私は東プリを定宿にしている作家を担当していたので、あのホテルにしょっちゅう出入りしていたのだ。思い出の東プリよ、私のピンチを救っておくれ。

ビザ申請受付終了時間が迫っていた。
タクシーを飛ばして東京プリンスホテルに到着、ビジネスセンターに駆け込んだ。
慌ててホテルマンの方を呼んで、手伝ってもらう。
こころよくサポートしてくださり、プリントアウトできた。
ふたたびタクシーに乗って、いそいで大使館に戻る。

大使館に着いたらちょうど私の番号札が呼ばれるところで、なんとグッドタイミング!
「神様が応援してくださったのだ」と胸の内でお礼を言った矢先、こんどは「写真が貼ってない、すぐ貼るように」と係員に言われた。
糊とハサミを借りると、糊が固まっていて出ない。
指を突っ込んで糊をほじくりだし、なんとか写真を貼ると、こんどは「提出書類が足りない」と言われた。

・・・とまあこんなふうにして、私はビザ申請にてこずったので、ビザを受け取りの日はキャンティにいた。
ロシア入国許可の下りたパスポートを何度も開いては、「ブロッコリーのパスタ」とともに、その喜びを噛みしめたのだった。

その日からまもなく、私はモスクワへ飛んだ。
モスクワ→サンクトペテルブルク→モスクワ、の主な観光名所をまわったのだが、ざんねんながらこのときのことを私はあまりよくおぼえていない。行ってみて、私のフィールドワークのフィールドは、ここではないと思った。
クロテンと、あまり関係ない場所のようだったからである。
東西に大きな翼を拡げるようなロシア国の、ヨーロッパ側ではなく極東側へ、私が訪れたのは、モスクワ・サンクトペテルブルクの旅から2カ月後のことだった。

サンクトペテルブルク デカブリスト広場に立つピョートル大帝像

サンクトペテルブルク血の上の救世主教会

<つづく>

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