第11回クロテン人気の終わり②

ソ連の崩壊、経済の自由化にともなって、クロテン人気は落ちていく。
ヨーロッパや中国から格安の養殖ミンクが流入し、価格は暴落した。
インフレによって狩猟に必要な銃や弾など用具価格も高騰、さらに、欧米諸国での動物愛護運動の高まり、また化学繊維の発達が追い打ちをかけるようにして、毛皮業は1988年あたりをさいごのピークに、衰退の一途をたどる。1990年代半ば以降はシベリアの年金生活者の小遣い稼ぎ程度に落ち込んで、狩猟家も激減した。

当時の様子を、極東地域の狩猟現場で目のあたりにしたのが、先出の佐々木史郎氏も参加した日露合同の調査チームであった。冷戦時代には軍事基地として閉ざされていたこの地域に、佐々木氏のほか田口洋美氏、森本和男氏、佐藤宏之氏がロシア人研究者とともに入り、そのフィールドワークは、『ロシア狩猟文化誌』(慶友社 1998年発行)という本にまとめられている(第3回「罠にかかったクロテン」)。

「クロテン狩猟の集落は、成功している所と失敗している所が明確に分かれました。
僕らが調査に行った<森の民・ウデへ>の村は、どちらといえば勝ち組のほうでした。
『ロシア狩猟文化誌』を書いた頃は、ロシアの経済が崩壊して、めちゃくちゃになって、秩序がなくなって、みんなとほうにくれた状態でした。そんな中で我々は調査をしたんですが、ウデへの中でただひとりーースサーン・ツィフィエヴィチ・ゲオンカというおじいさんが、我々に付き合ってくれた。次世代に自分の技術を伝えてくれ、と。そういう明確な意図をもって、狩猟のやり方やクロテン用の罠の作り方などを見せてくれました」

その後、ウデへは残っていても、自立したコミュニティとして存在できないくらいに森の開発が進んでしまう。ビキンの周りの川の流域は、森が島のように残されていて、ハゲ山の状態に近くなっているという。

「中国がやたらこの地域の木材を買いまくっているとの批判もあります。中国は自分のところの木は切らせないようにしていますからね。それでも沿海地方側というのはまだ森が保全されています。ウデへが守っている、福島県一県分くらいの森も、4分の1ぐらいは伐採用に許可していますが、残り4分の3は、保全地域として手をつけさせないようにしている。その保全地域で、狩りをします。そこでなら、クロテンに会えるかもしれませんね」

「そこでなら、クロテンに会えるかもしれませんね」
ーー佐々木教授のそのひとことは、私の胸にこだました。

<つづく>

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