私たちは黄みどり色のエスセブン(S7)に乗って、ハバロフスクへ向かった。
成田から飛行機で2時間半も飛べば着くこの地は、かつて清朝のものだった。当時の清国と帝政ロシアのあいだに交わされた愛琿条約(1858)と北京条約(1860)、この二つの条約の調印によって国境線があらためられ、この地域は現在のロシアのものとなった。
そもそも1649年に開拓者エロフェイ・ハバロフがこの地に足を踏み入れたとされており、
帝政ロシアの農奴制が廃止された1861年以降、多くのシベリア農民が<ハバロフカ>と呼ばれたこの地へ移住した(1893年に現在のハバロフスクという名前になった)。
1891年にはシベリア鉄道の建設がスタート。日本とは日露戦争後に関係が深まり、明治の終わり頃から移住する日本人も増え、居留民の建てた建物がいまも残っている。
日本の総合商社で<北洋材>の商売をしていた私の父も、かつて度々訪れていたこの町には、大河・アムールが流れている。
このアムール川に、日本の自然は多大な恩恵を受けているという。
シベリアは日本に寒気を送り込んでいるだけでなく、たくさんの栄養を恵んでくれている。広大なシベリア森林の栄養をアムール川が吸い取って、オホーツク海に吐き出している。そのことによって、知床の海をはじめ東北地域あたりまでの日本を囲む海洋が、その生命を繁栄させているらしい。
「ハバロフスクへ行ってもアムール川しか見るものがない。だから公園を散歩するしかない」
と父は言っていたが、私たち日本人が日頃からお世話になっているというこの川の流れを見るだけでも、ハバロフスクを訪れる価値はあると思う。
美味しいレストランもある。人びとも総じておおらかで優しい。
そして寒い時期は、町がいっそう美しい。
1月のハバロフスク中心部にはクリスマスからお正月のための氷の祭典が展開されており、夜には美しくライトアップされ、ロマンチック満点。町はほどよく賑やかで、少し離れるとどこまでも広い一本道が真っ白くとおく、ひらけている。空も空気も透明に凍って、すべてが浄化されている。
<クロテンに会う旅>に話を戻そう。
季節は冬ではなく、5月の終わり。この地域独特の厳しい寒さがやわらいで、ぐんと緑の濃くなる季節に、私たちはハバロフスクからクルマで「沿海地方(プリモーリエ)」を南下した。
日本海の向こうがわに、ロシア極東・沿海地方がある。その名を「プリモーリエ」という。
お菓子のようなコスメのような名前のこの場所は、とても日本に近いというのに日本人にあまり知られておらず、日々私たちの暮らしの中で話題にのぼることもほとんどない。
プリモーリエは日本のすぐお隣である。
プリモーリエには、タイガがある。
針葉樹と広葉樹が混生するウスリータイガとよばれる原生林で、私の追うクロテンや、プーチンさんの愛するアムールトラもいる。
タイガについて調べているうちに、うおつきりん(魚附林)という言葉を、私は知った。
うおつきりん(魚附林)とは「森林があるから魚が集まる」意であるという。日本には良いことがばあるもんだなあと思う。字づらも音も、明るくて良い。
森を荒らすと魚が減るということを、私たちのご先祖は日々の中で学び、森や海をうやまい拝んで、感謝を忘れず生きていた。
森と海は離れていても密接につながっている。
便秘で頭痛が起きるのと似ている。
つまり頭痛が起こらないように頭だけを大事にしてもだめなのであって、血の通り道である血管という「川」がめぐる全身に気を配らぬことには、頭痛は防げない。
自分ひとりで幸せになろうとしたって、幸せになれないことに似ている。
自分の国だけ平和で安定し、自然災害を免れることなどないことにも、似ている。
ハバロフスク市内を抜けると、だんだん道路がガタガタに・・・つまり舗装されている道が減っていく。そして森に入ると、土に穴ボコだらけの道だけになった。クルマが上下に大きく跳ねる。安全バーを握りしめ、シートから腰を浮かしながら、進むしかない。
そうしたガタガタ道を進むこと数時間、あたりは完全な深い森となる。
この森があってこそ生き物たちは自らを養えている。
世界一大きなアムールトラや、アムールヒョウ、シマウフクロウやオオヤマネコもいる。
タイガの木々に実る小さな粒々は虫や動物たちの食糧となり、彼らからとれる肉や毛皮の一部を人間はいただき、やがて人間も土に還る。砂漠の水の一滴ともいえる、命をささえるタイガの一滴が、この地をめぐっている。
緑と水の匂いを嗅ぎながら、ビキン川中上流域を目指して、私たちは進んだ。
<つづく>
<参考文献>『魚附林の地球環境学 親潮・オホーツクを育むアムール川』昭和堂刊
*著者の白岩孝行氏(北海道大学)は、アムール川とオホーツク海、シベリアのタイガと日本の森林のつながりについて、先人が積み上げた知である魚附林<UOTSUKIRIN=Fish –Breeding Forest>は価値ある日本の環境概念であるとして、サイトでも情報発信をされています。
*太字部分は『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)より抜粋(参考文献は、書籍の巻末に掲載しています)
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