第90回ダッタン人の踊り(12)むずかしいクラリネット

「私はクラリネットを吹いてます」

と人に話すと、

「・・・じつは自分も、やってたことがあるんですよー」

と返されることがある。

それはあんがい少なくない確率で、ある。

中高で吹奏楽に打ち込んだ人の人口は多く、なかでもクラリネット・パートは人数自体が多いから、高い確率でクラリネット経験者に出会うのは、当然といえば当然かもしれない。

しかしながらその人たちは、とっくのとうにやめてしまっている。

高い確率でクラリネットをやっていた人と会い、と同時に、高い確率でクラリネットをやめた人に会う・・ということだ。

 

「いまもやってまーす」なんて人には、あまりお目にかかれない。

前の回にも書いたように、吹奏楽部の練習が厳しすぎて、「卒業したらもうやらない・・・」といった人びとに加え、「クラリネットという楽器自体が、たいへんだから・・・」という人もいるようだ。

 

このたび、11年ぶりに港区のビッグバンド「シーサイドブリーズ」で、クラリネットを吹くことになった。だいぶあいだがあいてしまったのだが、古巣の仲間が迎えてくれることになり、とてもうれしい。

本番は日比谷ミッドタウンで、とのこと。そこへ向けてトレーニングするのはもちろんだが、楽器以外の準備もある。

たとえばこのバンドの衣装は「黒」しばりなので、黒の服を用意する。

11年参加していなかったので、いまの私に黒の夏服は喪服しかない。

 

先週、春夏のお洋服が一部セールになるときいて、そうだ黒い服をと思い、YUKITORII銀座店に行った。私は鳥居ユキさんの書籍のコピーライターをやったことがあって、いまもご縁がつづいている。

店長のフカサワさんに、こんど演奏する旨を話した。

すると、私が「クラリネットを吹いている」と言った瞬間、「ええーっ!」と三歩くらい下がって、「ク、クラリネット、吹くんですかっ!?」と、ひどくおどろき、言い放った。そこには、『あんなたいへんなものをアナタ、いまだにやっているのですか⁉』といったニュアンスが含まれていなくもなく、じっさい口に出して、しみじみとこうおっしゃった。

「クラリネットって、ほんとうに、むずかしいですよね・・・」

 

まあどんな楽器もむずかしく奥深いものだと思っているが、クラリネットの特徴を挙げると、キーも穴も多く、アンブシュア(楽器を吹く時の口のかたち)を安定させてもタンギングがしづらく、いざ曲となったら休みが少なく、気も休まる間がない。さらに管全体が木製のため、気温や湿気、楽器の手入れにも気を遣う。

吹奏楽でクラシック曲をやる場合、1stクラリネットは第一ヴァイオリンの役目なので、そういう意味では花形なのだが、そのぶん仕事量は多い。コンサートマスターとして最初のチューニングからして皆の基準になるし、演奏全体を通して指揮者に次ぐバンドの道しるべとなり、重責ものしかかる。そういったことから、クラリネットは吹奏楽のなかではかなり働き者な、働きバチ・パートであり、働きバチでないと、つとまらないところがある。真面目できちょうめんな性格(と自分では思っている)の私には、合っていたと思う。

 

現在、執筆しているのは中学時代の話だが、高校に入ると私はいっそう吹奏楽にどっぷり浸かり、働きバチとしての才能を目覚めさせ、細かい音符や速いパッセージをこなす力を養っていく。その話はもう少しあとに書こう。

 

私が働きバチ生活から解放されるのは大学入学時、いわゆる<学バン>=大学のビッグバンドのサークルに入って――クラリネットからサックスへ、転向したときである。ビッグバンドに於いてのサックスパートというものも、吹奏楽のクラリネット同様、働き者であることを求められるポジションではあるのだが、吹奏楽的働きかたとはちょっとちがう。

 

ビッグバンド道がはじまったとき、クラリネットとの付き合いに変化が起こった。クラリネットはソロ楽器であり、クラリネットを吹く人はソリストとなることを求められる。

私は、サックスがたいして吹けない頃から、クラリネットのソリストとして、バンドに重用されるようになった。

ビッグバンドには圧倒的な人気曲というものがあって、グレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」や、ベニー・グッドマン楽団の「シングシングシング」や「メモリーズ・オブ・ユー」といった曲がそれであり、どれもクラリネットが主役、クラリネットを吹ける人はソロをやることになる。

大学でも、そして社会人になっても、ボランティアやライブなどでこれらをリクエストされると、いつだって全力でそれに応えてきた。

こうした演奏活動は、私のよろこびだった。

ところがあるとき、これをパタリと休止する。

 

そこから十余年の月日が流れた。

大切な場所を離れて分かったことは、いろいろある。

音楽をやめていた時間は、音楽をやっていた時間と同じくらい、かけがえのないものだった――

 

ちょうどそんなことを想いながらこれをつづっていたら、関西のサンダ市に住むシン君から、郵便が届いた。

ていねいに梱包されたその中には、私たちのブラスバンド部での演奏テープがどっさり、久寺家中学校文化祭(昭和55年度)と、我孫子市小中学校音楽発表会(昭和54年10月)のプログラムも同封されていた。

ガリ版印刷。

懐かしい名前の並んだメンバー表は、誰かの手書き文字で、踊るようにそこにあった。

フルネームを見たら、ひとりひとりの演奏している姿を、はっきりと浮かべることができた。曲も、おぼえている。

 

「クラリネットって、ほんとうに、むずかしいですよね・・・」

言われてみればたしかにそうだ。

けれど、もう何十年も前――こんな幼いころからずっと、私のそばにあるものだったよな・・と、カセットテープの包みを抱きしめた。

<つづく>

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