「企画書を出した人から、今日は終わっていいよ」
ノートとペンケースを仕舞って、リュックを肩に掛けながら教室から出て行こうとする子たち、このまままっすぐ帰るのかと思いきや、きくとほとんどの生徒がこのあとアイスを食べに行くのだという。なんだそりゃ?
駅前のアイスクリーム屋さんが、今日はタダの日なのだという。
みんなしっかり者だわね、先生も若い時からそうしていればねえ・・・。
アイス屋さんに走るかわいい生徒たちを見送って、教室に一人残った私は、ぼんやりと蛍光灯の白い光を受けていた。
こうしてこのままずっと――若い人たちに囲まれて、教える日々は、わるくない。
この穏やかな日が続いたとしたら――それはそれで幸せである。
――『ミルコの出版グルグル講義』第5章「さようなら、編集者」より
うっかりすると、私は「ミルコ先生としてのキャリア」の継続を、求めてしまいそうだった。
私は毎回手描きのテキストを作り、一生懸命教えていたので、学生たちはちゃんとついてきてくれた。講義日記が『ミルコの出版グルグル講義』(河出書房新社)に収録されているのでよろしかったらどうぞ。一回ごとの授業には手ごたえがあり、出版という仕事についてあらためて学び考えたことはかけがえのないものだ。そのときの想いと学生たちへのメッセージは歌に託した(作詞・山口ミルコ、作曲・てつりん法師)ので、ここに掲載する。そのうち、レコーディングしたいと思っている。ボーカル募集中。
・・・いや、待てよ。幸せの絶頂期には「終わり」が始まっている。物事とはそういうものだと受け入れることも、グルグルイズムの一環ではなかろうか。
大学講師になったのはたまたまであり、先生になることが私の目的ではなかったはず。
私はやっぱり書いていきたかった。
「教えながら書けばいい」
宮崎教授はそうすすめてくれたのだが、先生をやることと物書きをやることはぜんぜん違うベクトルのものだと、感じていた。
私は大学を去った。
ここで私はふたたび失業した。
非常勤講師は月収3万円だったが定期的に通う仕事場を失ってしまった。さみしくないと言えばうそだった。若者たちとの別れも惜しい。編集者として見込みのある子は1年生の中にもいて、せめて彼らが4年になるまで教えることができたらよかったかな・・・とちょっと思った。
私の教え子たちが将来出版人となって、彼らから仕事の依頼が来る日を目標に、がんばらねば・・・しかし私にそんな日がほんとうにやってくるとはとうてい思えず――長い長い修業の旅路が、また始まった。
<トメ>