「雑誌が返本されると、付録をぜんぶ取って、すべて再生にまわします」
と、富澤の取締役・伊福さんが解説しながら工場内を案内してくださる。
恐竜のそばから離れると、今度は小さな山が見えた。
一見、ゴミの山だが、近づいてみたら、雑誌の付録の山だった。
女性誌などによく付いている、エコバッグや、ポーチのたぐいである。
ゴミの山、といえば、カンボジアのプノンペンで見たゴミ山は、忘れられない。
私が幻冬舎をやめる二年前くらいだったろうか、担当していた藤原紀香さんの『紀香魂』という本が売れて、彼女がライフワークである恵まれない子ども支援に印税をあてて、学校を建てた。その竣工式に一緒に行き、紀香がサポートしている子どもたちとも、孤児院で会った。
本を読んで聞かせてあげると彼らは目を輝かせて、「もっと本をたくさん読みたい」と言った。
プノンペンのゴミ山はうすい灰色で、乾いていた。
そこには小さな裸の男の子たちが大勢うろついていた。
パンツも穿いていなかった。
空缶など「資源」になりそうなものを探して、拾って、それらを売って、彼らは生きていた。
雑誌は雑誌(紙)、付録は付録(ビニール・プラスティック)と別々に回収されて、一ヵ所に集められたのち、それぞれ薬品をかけられてドロドロにされて、次の姿に生まれ変わるのを待つ「資源」となる。
その過程では、雑誌と付録をバラすほか、広告ページに張り付けられている化粧品やシャンプーなどのサンプルをはがしていく作業が入る。
作業場では障がい者の方がたが、働いていた。
彼らはもくもくと雑誌を開いてはサンプルを取り除き、雑誌本体とオマケの部分をものすごい速さで解体していく。その手さばきには、目をみはるものがあった。
そうこうしているあいだにも、新しい返本(というのもおかしな言い方だ)が、この場所につぎつぎ運びこまれてきていた。これから解体され、砕かれようとしている雑誌たちだった。
ここで私が見たものは、はっきり言って新品だ。
とくに雑誌類はメジャーなものばかりで新しく、まだ本体も付録もピカピカ、これを見たら「ほしい」という人がたくさんいるだろう。
では、なんでここに?
なぜなら、「次の号が出る」から。
前の号より、今の号。今の号より、次の号。
新しいものを求める人びとが、いる。
そして新しいものを作れば儲かる人びとも、いる。
求める人も作る人も、わるくない。
「ほしい」「買いたい」「いいものを作りたい」「読者の声や会社の期待に応えたい」
――だから、これでいいんだよね?
・・・とは、もう思えない、いまの私。
作る側、であったころの私は、なんの疑問も持たずにやっていた。
けれど会社の輪の外側へと出て以降、私の過ごしてきた時間はすでに、私の中身を変えてしまっている。
工場見学を終えて、伊福さんは会社へ戻り、野澤さんと私は駅前の居酒屋でビールを飲んだ。野澤さんは瓶ビールがお好きで、生ビールは注文しないのだという。互いの小さなコップにビールを継ぎ合う。
40年にわたり会社に尽くして、定年退職後もこの業界に身を置いて、いまも営業の仕事と、自分のいた会社(河出書房新社)を愛してやまない野澤さんの話を聞きながら、
「はて、そもそも私は、なんで会社を辞めたんだっけ・・・」
というばかげた問いが、胸をかすめた。
<つづく>