第22回ロシアへ行こう

「ロシアへ行こう」
その思いつきは、私の心を明るく照らした。
キラキラした粉が、天から降ってくるような気がした。

さっそく旅に向けた資料を集めようとした。
ところが気をつけて見てみると、ロシアについての出版物は、他の近隣諸国と比べて驚くほど少ない。私は長く出版業界に勤めてきたのだが、これにはいままで気がつかなかった。
書店の旅行コーナーに行ってもロシアの本は、ほとんどない。5段の棚にせいぜい1、2冊といった感じだ。一冊も置いていない書店もあった。
さらに大手旅行社も一様に、ロシアに関してやる気がなかった。
カウンターにはまずパンフレットが置いていない。有名旅行会社でもツアー自体があまりないのだと言われた。

私は縁起の良い日に旅立ちたかったので、出発日を決めていた。
その日に合わせて、ロシア旅行社(昔は日ソ旅行社だった)という老舗のロシア専門旅行会社を訪ね、とあるプランを急ぎ申し込んだ。
ロシア行きを決めた週末の私のはりきりようといったら、たいへんなものだった。
気合を入れるため髪を短く切り、『人生がときめく片づけの魔法』を読んで、部屋を片付けた。
「大事にできていないのは、持ってないのと同じこと」
なんだかすごくいいことが起こりそうな予感がした。
窓を開けてひんやりとした空気を吸い込むと、北の味がした。歯をカチカチさせて、冷気を食べてみる。心はロシアへ、飛んでいた。

ところが週があけるとロシア旅行社から電話がかかってき、やっぱりいまからでは間に合わないという。
急だったのでむりもない。私が盛り上がりすぎていたせいだろうか、とつぜん独りぼっちにされたようで悲しくなり、私は向こうの話を終わりまで聞かずに泣いて電話を切った。こんなに悲しむなんて異常である。

落胆した私が次に訪問したのはインツーリストという旅行社だった。
小さな可愛らしい女の子が、対応してくれた。
女の子は、その社で仕事をしているのでちゃんとした大人なのだが、私にはとても小さく見えた。たいへん質素で華奢な彼女に、
「なんでロシアのことをやっているのですか?」
とたずねると、ロシア文学が好きだからだという。
「ドストエフスキーやチェーホフや・・・」と話す控えめな声に、文学への静かな愛が感じられて、このひとと友達になりたいなと思った。
彼女のように、日本人におけるロシアへの関心とはそういった文学、もしくは音楽、絵画、バレエなどだ。日本に入ってきているロシアは<物(ブツ)>ではなく、そうした精神にまつわるもの、もしくは石油、天然ガス、木材・・・といった資源、である。
暮らしを支えるものと、精神的なもの――「物を排除するほど本質的な自分に出会える」という禅の思想に通ずる。であるというのに、戦後の日本人は、禅の精神と真逆の方向に進んできた。そしていまも進んでいる。その方向は私たちに合っていないじゃないか、多くの人がそのことに気づきながらも、引き返せなくなっている。

ざんねんながら私の決めた出発希望日が近すぎて、インツーリストも去った。
旅に向けパンパンに張りつめていた心が、急速にしぼんでいく。
その後たまたま目に入った新聞広告で、「ロシア弾丸ツアー」なるものを見つけた。「モスクワ・サンクトペテルブルク激安!」と広告は謳っている。
有名旅行会社のパックツアーなどに参加するつもりはなかったのだが、もうこれでいいやと電話を入れてみた。
すぐ電話したのに激安だったためか、もういっぱいだと言う。
またしてもガックリきていたところへ、「キャンセルが出ました」の連絡があとで来た。
ところが、「ツアーにはご参加いただけますが、出発日が迫っているためパスポートのやりとりをしている時間がない、ついてはご自分で、ビザを取得していただけないか」というのである。
出版社勤務時代に何度も海外出張をしているけれど、ほとんどビザ不要の国だったし、旅行の手配はいつも誰かがやってくれていた。会社はもうやめたのだから、これからは、「なんでもひとりで」。
目前に次々立ちはだかる課題に、私はますます燃えた。

<つづく>

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