「みんぱく」(国立民族博物館)の佐々木教授にアポをとり、インタビューの了解を得た私は、大阪・千里を目指した。
2月半ばの午後6時。陽はとうに暮れて、外気は冷えている。
万博記念公園駅に降り立つと、高架の向こうにライトアップされた「太陽の塔」が浮かび上がっている。
白い息を吐きながら、40年ぶりに見るそれは、未来都市の遺跡に立つ、夢の欠片だった。
父に手を引かれ、おぼつかない足でパビリオンをめぐる5歳の私の写真があるのを思い出した。父は背が高く、父と手をつなぐ私の体が、ななめになっている。
「ずっとここに立っていたのだな」
と思うと胸が昂ぶって、夜空に聳える「太陽の塔」に向かってシャッターを切った。
インタビューの経験ということで言うと、私は千本ノック並みにやっている。
20年出版社にいたので、芸能人、文化人、ミュージシャンからプロレスラーまでじつにさまざまな人たちにインタビューしており、出版社を退社してだいぶ経ったいまでもテレビを見ながら、
「ここに出ている人にはみんな会ったなー」
と思うくらい人に会い、話を聞いて、文章化している。もしくはその場に立ちあっている。
だというのに、ものすごく緊張した。
なにしろ今回は、自分の書く本のためだけに、どなたかが時間をわざわざ割いてくださるのだ。
ホテルに入って眠るまで、そして翌朝起きてインタビュー時間まで、私はひたすら佐々木氏の著書『北方から来た交易民』を飲み返し、キャンパスノートいっぱいにメモした。
体制が無視できない成果を、クロテン交易で出していた先住民。彼らは国家に切り捨てられるのか。「北方から来た交易民」について考えることは、会社を辞めた自分について考えることと、似ていた。
私はたいへん緊張していたが、じっさいにお会いした佐々木さんは拍子抜けするほど優しくて、親しみをもてる人物だった。
それはもう、最初の挨拶で、さらにちょっとお話ししただけで、日々の研究への愛と努力の時間が彼の背後に感じられる。加えて穏やかな笑みを絶やさない。私は佐々木さんの感じ良さに甘えて、さっそくずうずうしいお願いをした。
「テンを追って、書いてるんです。ぜひアドバイスをください」
「ほう~、テンですか・・・」
佐々木さんは穏やかな微笑みに、面白そうな成分の加わった顔になった。
<つづく>
*太字部分は『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)より抜粋(参考文献は、書籍の巻末に掲載しています)
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