新盆の前日は、目黒でボサノバ・グループのライブだった。
演奏を終えて楽器をクルマに積んで、山梨へ向かう。
父のお墓は縁あって、富士山方面になった。
納骨は、お盆の三月前に済ませていた。その日はよく晴れて、降り注ぐ日差しが、父の名を刻んだ灰色の石を明るく照らしていた。
納骨をすると、仏さんもホッとされるらしい。遺された者の気持ちも落ち着いて、身辺おだやかになるときいていたが、そうだったかもしれない。
爆発しそうな悲しみを抱えながら一日一日をこなしていくうち、じぶんの体の芯がじょじょにあたたまり、しゃんとしてくるのを感じる。こういうのを「癒える」というのか。

中央道を西へ進むが、すぐに疲れる。
年々クルマの運転に、自信を失くしている。
足に大怪我の後遺症があるのでクルマはありがたいものだが、若い頃のような思い切った運転ができなくなった。
お世話になっているお寺さんは山がちな場所にあって、そこへ到達するまでに細い道を慎重にゆかねばならない。それでも長年の運転経験があるから、その蓄積でなんとかなっているのだろう、ちゃんと現地についた。
真夏。駐車場にクルマを停めて、焼けるような車体のドアを開け、外に出る。トランクの中の楽器も、この熱に参ってしまっている。
前にも書いたが、私の扱う楽器のなかでも、ことクラリネットというのは木で出来ているので、温度や湿気の悪影響を受けやすい。高温と長時間移動の振動で管体が曲がってしまったり割れたりしたらたいへんである。
いそいでクラリネットケースを取り出して、肩に担いで、お堂に入った。
住職さんのファミリーがあたたかく迎えてくださり、冷たいお茶とお菓子をいただいたあと、お経を上げてもらった。
低く流れるお経と木魚の響きに浸りながら、また涙が出た。もう悲しくはない。でも、恋しい。父がそんな家族の思いを汲んでくれているような気がして、さらに泣けてくる。
法要とお参りを終えて、しばしみなさんと歓談しているとき、
「ところで、それはなんですか?」
という話になった。私がクルマから運んだ、黒い細長のバッグを指している。
「ああ、これはクラリネットです」とこたえると、
「わっ、私もやっていたんですよ、クラリネット」
と大黒さんがおっしゃる。
「ええーっ」
第90回「むずかしいクラリネット」でも書いたように、かつてクラリネットをやっていた・・という人によく出会う。
じぶんの友人知人の多くが、「もと・クラリネット吹き」であることはおもしろい。
そして、なんとここにも・・・父のお墓のお寺にもいらしたとはびっくりだ。
神様仏様に導かれたご縁が、吹奏楽ともつながっていたことに、感動する。
そこからはもう、なつかしの吹奏楽部時代の話で盛り上がった。
大黒さんはかなりの強豪校にいたらしく、海外遠征の演奏経験や、コンクールへの思い入れもたくさんあるようだった。快活なパワフル・ウーマンの大黒さん、私より少し若いがほぼ同世代、70年代後半から80年代にかけてのコンクール曲が次々、話題にのぼる。
<吹奏楽>でつながれる、幸せなひととき。いちいち説明しなくとも、「あれをやっていた」というだけで互いに当時の頑張りを想像できるし理解もできる。学びはみんなあそこにあった。悔しさも嬉しさも一挙によみがえる。
そして吹奏楽は過去のことではない、いまも全国の中高でさかんであるし、社会人になっても楽しんでいる人びとが大勢いることはすばらしい。
ようし、私も新盆を終えて、いよいよ追悼コンサートに向けて本腰を入れよう!との決意を、ここであらたにした。

Photo/ Hiromi Hagiwara
相棒・ゆりゆり(pf)とのリハは、この夏のあまりの暑さに延期を重ねていたが、いますぐ彼女と曲を合わせたくなった。真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」はむずかしくて挫折しそうになっていたが、やっぱりあの曲をあきらめたくない、とも思った。
小さな仏壇がうちにやってきてから、毎日その前で「レ・ジャルダン」を練習してきたのだ――父が、見ている。
いま世界一、クラリネットを吹きたい。
はやく家へ帰ろう!
・・・と昂る思いを胸に高速を東へ、進もうとしたら大渋滞にハマった。
お盆休みの最終日だった。
<つづく>
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