第104回真島俊夫さんの「レ・ジャルダン」①

会社を辞めて、二十年住んだ東京を離れて、だいぶ経った。

退社時に発症した乳がん闘病について書いた『毛のない生活』とその続編『似合わない服』(ともにミシマ社)が出版されて以降、本の執筆や大学講師などをやってきたが、2019年の年末にシンガポールで大怪我をした。その入院中に新型コロナウイルスの騒ぎが発生。追い打ちをかけるようにロシアのウクライナ侵攻があり、取材や交流もしづらくなった。そこで、しばらく休んでいた音楽活動(クラリネットやサックスの演奏)を再開することにした。

 

拠点にしていた港区のビッグバンドを離れたのが2013年。

私には書きたいテーマがハッキリとあったので、とにかくまずはそれを書く。そのためにあらゆることを断ち切って、それに集中する――との決意で、仲間に休団を告げた。

会社はとうにやめていて、もう一つの大切な居場所であったバンドからも去ったら、誰もいなくなった。誰も私に連絡してこないし、私もしない。私にはたわいもない話をする友人なんて、ほとんどいなかったのではなかったか。

そもそも「本の執筆に専念する」ためのバンド離脱だったので、私はずっとその場所が恋しかった。音楽活動休止中に書きたいものを書いて何冊かの著書を出すこともできたのだから、ひとまずは自分との約束を果たしたといえまいか。

「次は音楽をやりながら書く」

そう思いついたら、めっきり気持ちが明るくなった。

 

一昨年の夏――11年ぶりに古巣である港区のバンド(シーサイドブリーズ)に迎えられ、日比谷ミッドタウンの本番でクラリネットを吹いたことは、前に書いた。

(第91回ダッタン人の踊り(13)シングル・リップとダブル・リップ)

現代のビッグバンド=ジャズオーケストラに於いてクラリネットはたいがい常勤ではないので、バンドに在籍していたころは主にサックスを吹いていたが、このときはピンポイント参加のソリストとして出演した。

ビッグバンドジャズには圧倒的な人気曲というものがあって、グレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」や、ベニー・グッドマン楽団の「シング・シング・シング」や「メモリーズ・オブ・ユー」といったクラリネットソロの曲を営業やパーティでやることが多く、日比谷でもそれらを吹いたのだが、本稿で重要なのはそうした演奏についてではなくて、その会場で、ピアノのゆりゆり(西山優里さん)と再会したことなのだ。

彼女も元メンバーで、しかしだいぶ前にバンドを離れていた。お父上がクラシック愛好家だったため、幼少期からピアニストをめざしクラシックの世界へ、国立音大卒業後は会社づとめのかたわらソロピアニストとして、作編曲作品も折々発表しながら長く演奏活動を続けているという人物で、ジャズバンドではその勉強と経験をひととおりすると、クラシックの世界へ戻っていった。その日は私が久しぶりに出演することをメンバーから聞いて、日比谷ミッドタウンに足を運んでくれたらしい。

日比谷ミッドタウン、演奏後

演奏を終えてフラフラになった私を、ゆりゆりは待っていた。彼女の元に倒れ込むように近づいて、以前と変わらぬ笑顔でふわりと受け止められたとき、心底ホッとした。一緒に演奏していたころは二十~三十代だったか、もともと落ち着いたひとだったが、すばらしい安定感。変わらぬ清潔感は、美しい音楽とつねに向き合ってきたからだろう。

だいぶ留守をしたけれど、バンドに復帰してほんとうによかったと思った。こんなあたたかい気持ちになれる友と、ちゃんと出会っていたのだから。

このころ、私の様子を見た父が、

「あんたには音楽があって、ほんまによかったなあ」

と、大阪弁で、しみじみ言った。

大親分にOKサインをもらったようで、うれしかった。

 

それから半年後――父が倒れた。

 

<つづく>

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