第97回ダッタン人の踊り(19)ダッタン人の踊りの終わり

バンナイ先輩の訃報を受けて、私はすっかりやる気をなくしていた。

この一年ほど、何かに突き動かされるようにこれを書いてきたが、ここへきて、止まる。

 

バンナイ先輩の不在。これが私を打ちのめしているのであれば、じつに思いがけないことだが、まあこういうことは、考えてもわからないものだ。

 

コジマ君が、言っていた。

「バンナイさんは、もっともっともっと吹き続けたかったんだと思う。無念の旅立ちではなかったか・・」

卒業後も、市民オーケストラで彼と音楽活動を共にしてきたコジマ君の言葉は、私にとって重かった。

 

吹奏楽と出会い、中学2年でクラリネットを手にして、ブラスバンド部の旗揚げに参加。そんな中学時代を書いてきて、そろそろ卒業・・・というところまで来ていた。

中学時代を終えたら高校時代、そして学バン(大学のビッグバンド)時代へと話をすすめるつもりでいたが、このように書く意欲が失われていては困る。

 

実名を出して書いていくことのむずかしさも、同時に感じていた。

実名でノンフィクションやエッセーを書くのはもうよそう、ぜったいやめよう、と思っていたのに、私はまたやってしまっていた。ダッタン人から吹奏楽! そう思いついたとたんに楽しくなって、すぐ書き出した。

 

そんなわけで、「ダッタン人の踊り」終了のお知らせ――という回になろうか、というところなのである。

ちょっとちょっと~、楽曲「ダッタン人の踊り」に、まだぜんぜん触れてないじゃないの? はい、たしかに。たまたまこのワードをきっかけに私のページを訪れてくださった方がいらしたら、申し訳ないとも思う。いつかクラリネットの話を一冊にまとめたいと思っていたが、ここでやめてしまえば、そんな夢からも遠ざかる。

が、こればっかりは、私のせいではないのである。私を突き動かしていた目に見えない何かが、どっかへ行ってしまったのだから。

 

これまで楽曲「ダッタン人の踊り」と関係のない話をたくさん上げてしまいましたが、この連載にお付き合いくださった皆様、そして貴重な助言や資料、励ましをくれたコジマ君、シン君、Z先生、ありがとうございました。

このあと私の吹奏人生はいよいよ、笑いあり、涙あり・・・恋と友情の青春真っただ中に突入する。話のつづきは――いつになるかわからないけれど、時がくれば、きっと書けることでしょう――

 

こうして本稿を終えようとした矢先、Mさんと久しぶりに会えることになった。

ある出版社で、かつて私の本出版の折にも担当編集者兼営業部員として尽力してくれた人だ。

書店員さんたちにご挨拶するため、あちこちの書店を一緒にめぐった記憶がよみがえる。

「ミルコさんを、全力でお守りします」

と言いながら、駆け出しの著者を力いっぱい応援してくれた。

そうした人に対して、私はなーんも、恩返しできてない。

 

メールには、「ダッタン人の踊り」をお読みくださった旨も、書かれてあった。

 

「拝読していて、中高と過ごした自身の吹奏楽時代を懐かしく思い出しました。

そうそう、クラリネットってそんな指づかいだったかも・・・

「士官候補生」!!「雷神」!! 「ワシントンポスト」とか、どれも懐かしい曲ばかり〜!!

確かにロングトーン、毎回やっていたなぁ・・・

クラリネットの手入れ、そんなに丁寧にしていなかったなあ、とかとか」

 

ああ、そうか――Mちゃん、吹奏楽部でクラリネットを吹いていたかぁ・・・そういえばそんなことを言っていたかな・・・

 

ここに書くべきことがまだある気がしてきた。

私から去ってしまった目に見えない何かが、戻ってきてくれることを、ねがう。

 

<トメ>

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