第96回ダッタン人の踊り(18)新しいクラリネットを買う

バンナイ先輩の訃報をきいたのは、前回の原稿を上げた直後だった。

ショックで口もきけないくらい、おどろいた。

ずっと会っていない人だけれど、もう会えないなんて悲しすぎる。

いま書いているこの原稿をいつかまとめて、バンナイ先輩に読んでほしかった。

いつでも会える――そう思っていた自分を悔いた。

 

コジマ君と、同じく同級生のモサ(チューバ)と三人で、赤坂の寺院での葬儀に行った。猛暑がようやく落ち着いた十月のはじめ、日差しはつよく、しかし風は爽やかで、一ツ木通りの坂道をぶらぶらのぼった。向かう先がバンナイ先輩の葬儀だなんて、ほんとうに信じられなかった。

なぜかまちがった時間を受け取っていて、私たちは葬儀に参列できず、ギリギリ間に合った出棺を見送った。バンナイ先輩はお一人息子さんで、独身だった。享年59。小柄なお母様が泣き崩れる姿は、見ていられなかった。

葬儀場をあとにして、私たちは近くのお店で献杯しつつ、バンナイ先輩をしのんだ。

 

 

友人のお嬢さん・ヒサちゃん(仮名)から、自分のクラリネットを買おうかと思っているのだけど・・・との相談を受けたのは、その少し前のことだった。

ヒサちゃんは高校生で、吹奏楽部でクラリネットを吹いている。

でも学校ではコンディションのよろしくない楽器で練習しているらしい。楽器は古く、学校は新しい楽器を買う気もないとのこと。

で、お父さんとお母さんに相談のうえ、私に連絡してきた。

 

「一緒に楽器屋さんに行って、何本か試し吹きしてみる?」と提案した。

学校の楽器はリペアを新大久保のダクに出しているそうで、ダクへは行ったことがあるという。私も学生の頃からなじみであり、ジャズ研の先輩が長く勤めていたお店なのでちょうどいい。大学に入って吹奏楽からビッグバンドへ転向した18歳、銀のアルトサックスを初めて買ったのもダクで、だった。

先日ダクを定年退職して、これまで以上にあっちこっちのアマチュアバンドでリードラッパを吹きまくっているカサイ先輩に、さっそく連絡をしてみた。

「あの~、友達の娘さんのクラを選びたいんだけど・・」

「おう! じゃ、○○を訪ねて。圧、かけとくよー」

と話は早かった。

 

夏の終りのある土曜日、ヒサちゃんと私はダクで待ち合わせをした。

すらりと背の高い、ノースリーブのワンピースが良く似合う女の子を、三階のクラリネット売り場に見つけた。目を細めて私に向かって薄く微笑んでいる。うっすらと日焼けした肌がまぶしい。数カ月前に会ったときより、また背が伸びている気がした。

 

カサイ先輩の指示通り、入社一年目の高山さんをたずねると、防音室に案内された。

すでに10本ものクラリネットが応接室に並べられていた。それを端から一本ずつ、まず

ヒサちゃんが吹き、つづいて私も吹いて、と順番に試奏した。

ヒサちゃんは私に少々遠慮があっただろう。やや緊張もしていたと思う。音階練習のような感じで控えめに音を出していたが、ほんとうはもっと吹けるはずだ――と私は音を聴いてすぐわかる。

彼女の音は、線は細いがとても素直で、なにより3オクターブから上の高音がきれいだった。この高音を出すのが、ひじょうにむずかしいクラリネット。けれどここが、えっへん、クラリネット最大の見せ場!なのだ。4オクターブある広音域というのがクラリネットの自慢かつ重要ポイント。この特性を生かせれば、吹奏楽でも管弦楽ジャズでも、縦横無尽に遊びまわれるだろう。

 

社会部系のジャーナリストで吹奏楽は門外漢だが、「娘が楽しそうに楽器をやっているので、ひとつよろしく~」と言っていた彼女のお父さんに、私は進言した。

「ヒサちゃんは高音がきれいで音程もいい。きっと自分の楽器を持ったら、ぐんと上手くなる、ぜひ自分の楽器を買ってあげてください・・・」

 

高校二年生のヒサちゃんが吹く姿を眺めながら、自分自身の当時を思い出していた。

私が楽器を買い換えたのも、この頃だ。

中学生で最初に買ってもらったYCLに飽き足らず、ビュッフェ・クランポンのR‐13を親にねだって買ってもらった。

いまから40年前で、20万円くらいしたと思う。よく二回も買ってくれたと思うが、今回の件で、現在の楽器の値段を知っておどろいた。その三倍ちかくに跳ね上がっている。

円安と戦争その他による輸送、原材料化価格の値上がりで、いまや輸入品はたいへん高価なもの。楽器のみならず、リードをはじめ関連グッズにもいちいちお金のかかる演奏活動、楽器を子どもにさせる親御さんはたいへんであるなーと、この機会に痛感した。

 

そんなことがあった矢先、バンナイ先輩に献杯をしながら出たのが、「バンナイ先輩はクラリネットを買っていない」(笑)という話だった(中学生だから、正しくは、買ってもらっていない、だろうか)。

中学時代、私のとなりで吹いていたバンナイ先輩のクラリネットは、なんと、くじで当てたものなのであった。

「ちがいのわかる男のゴールドブレンド」というCMがあったことを、中高年の方はご記憶にあると思う。あの、ゴールドブレンド(ネスカフェ)が、クラシック音楽のキャンペーンをしていて、ハガキのアンケートを出した人から抽選で、コンサートの切符や楽器をプレゼントしていたのである。

 

そうか~、バンナイ先輩のクラリネットは、「もらいもの」だったか・・・

 

なんかそんな話になって、盛り上がった。そのエピソードはなんだかバンナイ先輩のキャラクターにピッタリなんじゃないかという気がして、クスっと笑ってしまった。

よぶんなお金をかけず、でもそれをちゃんと実力でモノにして、フルに使ってエンジョイし尽くしたんだと思う。

大人になったバンナイ先輩のことは知らないけれど、きっとまちがいなく「ちがいのわかる男」になっていた。そしてあの小さな体でかろやかに、短い生涯を生き切った。

 

<つづく>

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