第95回ダッタン人の踊り(17)リードミスというミス――エリクソンの「序曲祝典」

「新冷戦」とよばれる時代に入っていた。

前年の終わりにソ連がアフガニスタンに侵攻、それに対しアメリカが報復介入。かわいいミーシャがマスコットのモスクワ=オリンピックに西側諸国が軒並み不参加を表明したというその夏、私たちは初めての「コンクール」に出場した。

当時の録音が、残っている。

前出のシン君が用意してくれたテープに、収められていた。

デッキにかけてみると、「曲はエリクソン作曲・序曲祝典。指揮・横山乙和」――とのアナウンスに続いて、木管楽器の八分音符の連打で、曲がはじまった。そのリズムに覆いかぶさるように、ホルンとトロンボーンの雄大な旋律が流れてきた。

その瞬間、こめかみが痛んで、涙が出てきた。

何十年も聴いていなかったけれど、こんな美しい曲だったんだと、全身が震えた。

 

例によってA→B→Aで出来ている吹奏楽オリジナル。軽快なAが終ると、Bの美しいメロディーが訪れ、そしてまたAに戻って大いに盛り上がり、感動のフィナーレを迎える。

音程の乱れは許容範囲、ダイナミズムもよく付いて、速いパッセージも見事にこなしていた。みんなの吹く一音一音が聞こえ、それらがブレンドして感動的なサウンドを作り上げている。弱小ブラスバンド部を、旗揚げからわずか二年でこの状態に持っていったZ教諭の腕力に脱帽する。自分も、1stクラリネットの務めをしっかり果たしていた。楽器を持って二年弱で、ここまでの演奏をしていたことにも驚愕した。子どものパワーと成長の勢い――なによりクラリネットの先輩や仲間たちのおかげだった。

 

このときの演奏は、千葉県のコンクールで金賞を取った。

けれど、私たちは泣いていた。当時の制度では、「特別金賞」というものを取らなければ、全国大会へは行けなかったのである。

千葉県民ホールのロビーの椅子で、仲間が抱き合って泣いていた姿を、写真がいまそこにあるかのようにはっきりと覚えている。ホールの高い天井が金色に輝いて、小さな演奏者たちを照らしていた。

 

コンクール本番で、「リードミス」をしていなかったことは、じつに幸いだった。

あんな場所でリードミスをしていたら、いまこうして録音を聴いて、穏やかではいられなかっただろう。リードミスは、感動をぶち壊すほどのパワーをもっている。

ちょっとした口内の誤動作や、舌とリードと指の連携がうまく嚙み合わなかったときに、曲とまったく関係のない高音や、音符にならない音が出てしまうのがリードミス。「ピ!」とか「キャッ!」とか、比較的突拍子もない感じで、お出ましになる。サックスでもまれに起こるが、なんといってもクラリネットに起こりやすい。前回書いたように「リード楽器」はいくつもあれど、「リードミス」はクラリネットのもの。

楽器の上達にともない、起こる頻度は減ってゆく。しかし相当な熟練者にも起こりうる。キャリア40年超の私もいまとなってはめったにないが、ごくまれにやってしまうと、自分で自分にひどくびっくりする。

リードミスをした自分におどろくと同時に気持が落ち込む。「ああ~・・やってしまった・・」との思念に駆られ、目は泳ぎ、譜面のどこをやっているのか見失ったりする。それほど演奏者を動揺させるものだ――とは言い過ぎだろうか。

<ミス>というからには<失敗>なのだ。ふだんの合奏に於いてはちょっと落ち込む程度で済むが、本番だったりするともう恐怖。演奏者と聴衆のほどよい緊張感が張り詰めた空気を台無しにするうえ、いくつもの楽団がステージ上でその力を競い合うコンクールに於いては、減点対象となる。どんなにバンドが良い演奏をしていても、一瞬の「ピ!」で吹っ飛んでしまう。コンクールでリードミス・・・は思い浮べるだけで、全身の毛穴が開いて汗が噴き出してきそうな事態なのだ。

 

・・・というわけでリードミスがなかったことにホッとしつつ、40年ぶりに「序曲祝典」を聴けて、心から嬉しい。やっぱり大好きな曲だった。

F・エリクソン(Frank William Erickson, 1923 – 1996)はアメリカの作曲家。ワシントン州に生まれ、10歳からトランペットを吹き、高校卒業後に陸軍軍楽隊で編曲を勉強。南カリフォルニア大学で修士を取り、その後はカルフォルニア大学ロサンゼルス校やサンノゼ州立大学で教鞭を執る。自ら出版社を創設し、学生バンド向けのオリジナル作品を多数書き、吹奏楽教育の普及に尽力した。

こんな素晴らしい曲を残してくれたエリクソン、本当にありがとう。

そしてあの日、一緒に演奏した仲間たち、ありがとう。

私にクラリネットを教えてくれたフシミ先輩とバンナイ先輩に、ありがとう。

 

<つづく>

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