第94回ダッタン人の踊り(16)リード楽器という楽器

先だって朝日新聞の短期掲載で「佐治薫子とジュニアオーケストラ」というコーナーがあった。そこに、こんな記事。

 

ハーモニカとアコーディオンは「リード楽器」と呼ばれる。ハーモニカは息、アコーディオンは蛇腹のふいごで空気を送りこみ、リードという真鍮製の薄い板を振動させて音を出す。本格的なオーケストラをつくるのは田舎の学校では難しいため、こうした「リード合奏」が、戦後の音楽教育の軸となっていた。

 

佐治薫子さんは、千葉県で少年少女オーケストラを長年育てて来られた音楽教育者だ。管弦楽の部活指導に情熱を傾け、TBSこども音楽コンクールはじめ数々の受賞に導くなど千葉県小中学校でのオーケストラ育成に尽力された。この方がおられたおかげで、千葉県では昭和の時代から、当時はめずらしかった子どもの管弦楽グループがあちこちで発生、そこから多くの演奏者・指導者が巣立っていったという。私のブラバン同期生、当稿に何度か登場しているコジマ君も、そのひとり。船橋市の小学校にいた彼は音楽部で、身体が大きかったことからコントラバスを担当していた。その後我孫子市へ引っ越して、入った中学校でブラスバンド部の旗揚げに参加。はじめ与えられたアルトホルンという楽器に嫌気がさしていた矢先、音楽準備室で、埃をかぶったコントラバスがゴロンと転がっているのを発見する。「おれ、これやっていいㇲか?」とZ教諭に申し出たことが、はじまりだったという。できたばかりの弱小ブラスバンド部が当初から弦バス奏者を得たのも、もとをたどればこの佐治先生のオーケストラ指導にあったというわけだが、今回話題にしたいのはその件ではない。

 

この記事によれば、「リード楽器」とはアコーディオンやハーモニカとなっている。

私は小学校高学年に、器楽部でアコーディオンを弾いていた。小三くらいでもう目覚めていたので、吹奏楽部があればもちろん入りたかったけれど、私が五年生から通うことになった新設校にそれはなく、音楽をやりたい子は器楽部へ。そこには備品としてのアコーディオンが、ソプラノ、アルト、テナー、バスと、それぞれ二台くらいずつあった。この充実ぶりは、当時の学校教育の方針とつながっている。

前掲の朝日連載にも、以下の記述がされていた。

 

合奏のため、佐治薫子が子供たちに持たせたハーモニカとアコーディオン。これらが日本の学校で教育楽器として普及した背景には、軍歌や唱歌を中心とした従来の音楽教育を器楽中心に、というGHQ(連合国軍総司令部)の思惑があった。

 

私が新設校に移ったころには戦後三十年が経過しており、GHQの方針どおりの、「歌う」より「奏でる」が浸透しつつあったのだろう。すでにプラスチック製の縦笛はさかんで、音楽の授業時間外にも、みんなよく練習していた。下校時間の通学路には、縦笛をピーヒャラやりながらゾロゾロ帰る小学生が散見されたものである。

器楽に日本語は不要、日本独自の歌詞はじょじょに、国際社会の共通言語、すなわち「音符」に置き換えられていった。その進行形が、いまの小中高吹奏楽部の姿ではないだろうか。

演奏レベルは著しく向上した。それ自体はすばらしく、その努力は尊いものだが、ほとんどの子が自分たちのやっている曲や作曲家のルーツ、タイトルや歌詞の意味を理解しないまま、そして曲を「どう演奏するか」には興味を持たず、つまりあまり考えないまま、音符を追うことだけを体操のようにくり返す。先生(指導者)にはさからわず、みんなと歩調を合わせる「合奏」のレベルアップだけを、従順にめざしている。そんなふうに、私たちはGHQのプランどおりに、生きてきてきたのだろう。

来年、戦後80年。それで80年もやってきてしまった。人の80歳を思えば、人格も思考も趣味趣向も、すでに変えようのないところまできている。<国家百年の計>は完成間近。あと20年もすれば、日本の唱歌など完全に忘れ去られているかもしれない。

 

新興住宅地の売り出しへ向け、大規模開拓中だった「新設校」付近は、子どもの環境として、ひどいものだった。通学路は、泥だらけの道だった。もとは田んぼだったところにどんどん家を建てているので、あっちこっちがぬかるんで、森林は切り崩され、山肌が痛々しくのぞいていた。登下校していると、居場所を失くした生き物や鳥たちの悲鳴が、時折聞こえた。

 

そこで私は二年にわたってアコーディオンを弾いた。小学校を卒業すると、すぐとなりにある中学校に上がり、その年のおわりにはクラリネットを吹き始めた。歌口に「リード」とよばれる薄い板(原料は葦、プラスチック製もある)を付けて、それを振動させて音を出すので、クラリネットが「リード楽器」と呼ばれていることはすでに書いたかもしれない。サックスも同様。朝日の記事にあったように、アコーディオンがいまも「リード楽器」と呼ばれるものであるならば、私は小学生のころからずっと、リード楽器をやってきたということになる。

アコーディオンもハーモニカもクラリネットもサックスも、みーんな「リード楽器」。

ただ、これらの中で、「リードミス」というミス――と付き合っていかなければならない楽器は、クラリネットだけだ。

<つづく>

 

引用;朝日新聞2024年7月25、26日「音を翼に 佐治薫子とジュニアオーケストラ」④~⑤ (編集委員・吉田純子)

*当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。