ベニー・グッドマンやグレン・ミラーの時代にはビッグバンドの中心であり華であったクラリネットは、バンドの進化の過程でサックスにその座を奪われる。しかし現在でも、サックスの人に、あれを吹け、これを吹け、と持ち替え指示のあるアレンジは多いし、バンドにとっても選曲の幅が広がるのでクラリネット奏者はありがたがられる。
私も大学に入ってビッグバンドサークルの門を叩いたときには、「おおっ!クラリネットの人が来た~!」と大歓迎されたものだった(その話はあらためて、学バン時代に突入したところで書く)。ではかといって、中高吹奏楽でクラリネットだった人の多くがビッグバンドに流れるかといったらそうでもない。
前々回書いたように吹奏楽部が厳しすぎて、もうこりごりだ、卒業したらやらないぞー、と思う人がけっこういる・・・というかねてからの問題に加えて、昨今は「女子のたたかい」で怖いことになっているという話を聞いた。
吹奏楽部は男女ほぼ半々、ビッグバンドは管楽器に女子一人・・・であった私の青春時代とちがって、いまの吹奏楽部やビッグバンドサークルには男子が少なく、もしくはいないため、女同士独特のグループワークが展開されて熾烈な競争となり、それに燃える人がいる一方で、そのネゴシエーションが苦手な女子はついていけず、孤立したり、辛い思いをするという。友人のご息女も、そんなことに嫌気がさして吹奏楽をやめてしまったと耳にしたところである。
私が最初に入ったブラスバンド部――現在も母校にあるその吹奏楽部は、かつて理科の教師であった横山乙和先生(Z)が、当時の学校長から80万円の予算を引き出して、小編成用の金管楽器をいくつか買い、始めた部だった。
当時は「仮称・ブラスバンド部」といった。部名に「仮称」が付いていたのは、うまくいくかどうか、いつまでつづくかもわからない・・・という学校全体のあまり前向きでない当時の意向を表していたようにも思える。あのころの中学校は<部活動>というものを著しく奨励しており、その<部活動>とはすなわち運動部をさしていた。
私たちは1978年秋に旗揚げして、翌79年はまだコンクールに出られなかったが、試合のある運動部のように、夏休みも毎日、学校へ行った。朝から晩まで汗だくで、バンドジャーナルの付録「小フーガト短調」を練習した。
中二になって、新入生たちが入ってき、私は先輩になっていた。
フシミ先輩やバンナイ先輩はまだ残っていたが、高校受験のために中三で部活を引退する人もいて、コジマ君や私はいつしかバンドの中核になっていた。
クラリネットにも新入生が入ってきた。
イイヅカさん、フクダさん、ミヤケさんという女子三人がやってきたが、このうちフクダさんとミヤケさんは、学校がアルトサックスとテナーサックスを一本ずつ買ってくれたことによって、やがてサックスパートへ移っていく。
イイヅカさんだけが、私の傍らにいつもいた。
しかし私は、自分がフシミ先輩にしてもらったように、イイヅカさんに親切にできていただろうか? いや、先の「女子のたたかい」と呼ぶべきものではなかったはずだが、私はイイヅカさんに冷たかったと思う。
なぜなら私はつねに自分のことしか考えていなかった。目の前の楽器に夢中で、譜面に向かうことが楽しくて仕方なく、現在もだが、私は自分のことばかりで周囲の人を思いやれない人間だったと思う。今更だがイイヅカさんごめんなさい、私はあまりよい先輩ではありませんでした。そう思ったら、可愛いヘアピンで前髪を止めていた彼女のキュートな笑顔が浮かび、「せんぱい~」と呼ばれた気がした。
私があまり構わずともイイヅカさんはちゃんと上達し、もともと上手なバンナイ先輩・フシミ先輩とイイヅカさんとに挟まれて、私もさらに腕を上げたと思う。
この年、「ポンセ・デ・レオン序曲」に加えて、「オデッセイ序曲」という吹奏楽オリジナル曲をやっている――ということもコジマ君に取材して教えてもらったことなのだけど、ヒントをいくつかもらったら、ぱあっと目前が拓けてきた。
「オデッセイ序曲」は70~80年代に多く中学校で演奏された曲で、これを書いたコーディルという作曲家の「バンドのための民話」という曲も大人気だった。私たちも演奏したが、こちらについては後述する。
ジム・アンディ・コーディルは1931年アメリカ・ケンタッキー州に生まれ、5歳で父親からコルネットを習う。高校で作曲を学び、1950年に演奏家として全米をツアーした。その後、公立高校の教師に。モアヘッド州立大学(ケンタッキー州)とマーシャル大学(ウエストバージニア州)で芸術修士号を取得しながらマーチングバンドの作編曲を始め、1968年パイクビル大学(ケンタッキー州)に職を得る。在学中からおこなっていたトランペットや音楽理論、オーケストレーションなどの指導、吹奏楽団を指揮するなどして1997年に退職するまで活躍した。
先に挙げた楽曲のほか「ランドマーク序曲」や「ヘリテージ序曲」など、コーディルの<序曲>は吹奏楽界で大好評を博してきた。
「オデッセイ序曲」はその名の通りギリシャ神話のオデッセイアがテーマだが、中学生の時はそんなこと関係なしに吹いていた。そこでこの機会に、オデッセイの物語を読んでみようと、『ホメーロスのオデュッセイア物語』(岩波少年文庫)という本を入手した。
岩波少年文庫! 先だって石井桃子の評伝『ひみつの王国』(尾崎真理子著)を読んだところで、私は若い頃に親しんだそのシリーズを再読したいとも思っていたのでちょうどいい。
というのは、『ノンちゃん雲に乗る』で知られる児童文学作家の石井桃子(1907-2008)、デビュー作のそれが代表作となっているが、編集者としても数多くの本を世に送り出している。この岩波少年文庫も、石井さんが創刊に携わったシリーズなのだ。『宝島』『クリスマスキャロル』『あしながおじさん』など海外で読み継がれてきた名作を、戦後日本の少年少女たちに読みやすく編集した。
石井桃子が九十代を迎えたころから、よく色紙に書いていたという言葉がある。
「子どもたちよ、子ども時代をしっかりとたのしんでください
大人になってからのあなたを支えるのは、子ども時代のあなたです」
『ひみつの王国』著者の尾崎真理子氏は、石井さんのこの言葉を、
<自分の中の子ども、がいくつになっても共生し、子どものいしいももこに物語をせがまれ続けていた・・・そんな石井ならではの言葉だったとも考えられる>
――として本文中で紹介している。
いま吹奏楽部時代の話を書きはじめた私にはなんとなく、こうした言葉の意味が、ちょっとだけわかる。
それは、現在、吹奏楽部で渦中にいる女の子たちにも、伝えたいことなのだ。
<つづく>
参考:HAL・LENARD website
『ホメーロスのオデュッセイア物語』バーバラ・レオニ・ピカード作 高杉一郎訳 岩波少年文庫
『ひみつの王国』尾崎真理子著 新潮社
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