夕刻、佐々木史郎先生と博物館を出て、白老駅へ歩いて向かった。
雨は上がり、広く白っぽい道路にはときおりスピードを上げたクルマが通りすぎるだけで、人はほとんど歩いていない。博物館のお客さんはみな自家用車やバスで駐車場を出たあとなのか、閑散としている印象だった。
かつて大阪のみんぱくにいらした先生が、博物館立ち上げのために札幌へ転勤となり、その後はここ白老で暮らしておられる。先生が縁あって運ばれてきたこの場所で、お会いするのは今日が最後かもしれない。
私だって、まさか会社をやめるとは思っていなかった。でも会社をやめなければクロテンのことをやっていないし、先生とも会っていないし、ここ白老へ来ることもなかった。やや強くなってきた海風を感じながら、ここでこうして並んで先生と歩いている自分をふしぎに思うと同時に、この偶然への感謝が急激に込み上げてきた。
白老駅の近くの居酒屋に入ると、奥のお座敷にはすでに毛皮イベントの関係者が集まっていた。主役の館長が、ゲスト?の私をともなって席につく。私は周囲にアタマをペコペコ下げながら、不自由な足をなんとか折り曲げて座敷のテーブルにおさまった。
私の左隣りには史郎先生、そして右側には氷河の研究をされているという北大の先生・・杉山慎教授は、南極や北極(グリーンランド)、南米大陸最南端のパタゴニアなどで、熱水で氷を溶かしながら進む熱水ジェットというものを使って、氷河に孔を掘って観測しているのだそうだ。温暖化で世界中の氷河が縮小するなか、氷の動きを知ることで、これからの環境の変化を予測できるという。氷の先生がクロテン?と一瞬おもったが、寒冷地に棲む生き物たちの研究ともつながっているのは当然のこと。テーブルにはほかにも面白そうな研究をされている方々が集まっていらして、私はあらためて白老に来てよかったと思った。
櫻子ちゃんはそこでもアイドルのような存在でありながら、みなさんにだけでなく私にまでじつに細やかに気遣ってくださり、おかげさまで楽しくお酒とお食事をいただいた。
この晩、私は虎杖浜に宿をとっていた。「白老町」でホテルを検索したところ、タラコの産地として有名だという虎杖浜によさそうな所を見つけた。その名も「虎杖浜温泉ホテル」。
ところがいざ現場にて、居酒屋からホテルへの移動を考えると不安なものがあった。白老町内といっても虎杖浜温泉までけっこう遠いようなのだ。
室蘭本線で虎杖浜駅へ、もしくは登別まで行き、そこからタクシーというプロセスになるのだが、電車も一時間に1、2本、タクシーもそこでちゃんとつかまるかどうかわからない。この居酒屋からタクシーで行けば、料金がかなりかかるだろう。それでも仕方ないか・・・そろそろ失礼する時間だし・・と思っていたところ、ビョン、とLINEにメッセージが入った。あっちゃんからだった。
「迎えに行こうか?」
なんというグッドタイミング!天の助けのようなお声がけだった。芹澤夫妻が過ごしているキャンプ場は博物館からそう遠くない所だったらしく、私を拾いにきて、虎杖浜まで送ってくださるという。じつにありがたい、お申し出だった。
漆黒の闇をくぐりぬけて、颯爽と登場したあっちゃんのクルマに身体を滑り込ませた。
暖簾の前で見送ってくださった史郎先生と櫻子ちゃんの姿が遠ざかる。
私の思っていた以上に夜はかなり寂しい長い道で、一人だったら途方に暮れたにちがいない。あっちゃん、助けてくれてほんとうにありがとう。
「じゃ、また、明日の朝。てつと迎えにくるからね」
翌朝、約束どおり二人はホテルにやってきた。
早く着いたあっちゃんはすでに虎杖浜温泉ホテルの朝風呂に入ったらしく、ショートカットの毛先が濡れている。虎杖浜温泉ホテルのお湯はヌルっとした本格温泉で、すごく身体に効きそうだよ、と前の晩に伝えてあった。
さて、ここからは三人旅である。
この日もきのうにひきつづいて、雨になった。
本日の予定で決まっているのは、お昼ごはんの場所だけ。
「たっちゃん食堂」という海鮮丼のお店を、てつりんが予約していた。
しかし「たっちゃん食堂」は虎杖、浜温泉ホテルのすぐそばにあり、ランチタイムまでにはまだだいぶ時間がある。
ドライバーてつりんが心ゆくままに、西へ向かってぐんぐんクルマを走らせた結果、登別も過ぎて、室蘭に着いた。
なんだかこの街全体が赤茶けて見えるのは、かつて日本製鉄の製作所が置かれた鉄の街であったからだろう。建物も橋も、どことなく錆び色を帯びている。
その昔、私は「月刊カドカワ」という雑誌の編集者だった時代に室蘭へ来たことがあった
当時すでに解散がささやかれていた人気バンド・ユニコーンの特集「どこへゆくユニコーン」で、奥田民生さんの取材を室蘭でおこなった。私が角川をやめたのが1994年の初めで、ユニコーンの特集は私がやめる少し前だから、あれから30年が過ぎている。
久しぶりにその号を本棚の奥から引っ張り出してみた。
少し日焼けしているが、雑誌は良好な状態で、開くとなんだか懐かしい香りがした。
ロングインタビューの締めには、次のことば。
「バンドというのは、非常にめんどくさくて嫌なもんですけど、じゃあ何故やってるかっていうと、楽だからなんですよね。矛盾してますけど。でも結局そうなるんですよ。一人はつらいという」
このときからほどなくして奥田さんはソロとなり、私も「月刊カドカワ」編集部をやめるのである。
<つづく>
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