「うちの大学にぜひ来てほしい」
と、宮﨑教授に誘われた。
オスカー・ワイルドに引き合わされた出会いから、まもなくのことだった。
大学1年生から4年生までの全学年で、メディアの仕事に興味のある学生たちに編集講義を、とのご用命である。
まさか先生をやるなんて。考えたこともなかったので、ほんとうにおどろいた。
「すばらしい編集者の方に来ていただけると、さっそく学内で話を進めています。みんな楽しみにしています!」
宮﨑教授は美しく盛り上がっている。
「・・・ついては教授会に正式な書類を提出しますので、用意してください」
・・・履歴書?
齢五十で履歴書を出すことになるとは思わなんだ。だいたい会社をやめるつもりがなかったのだから。
いちおう私は言われたとおりにするべく、文具店で「履歴書」を買った。
一袋に何枚も入っていて、「こんなにいらないのにな」と思いながら一枚を取り出し、空欄に書き込みをした。
住所と名前、1988年専修大学文学部英米文学科卒業後AIA保険会社に就職、翌年退社し角川書店へ、「月刊カドカワ」編集部に5年勤務後、幻冬舎へ。2009年3月に幻冬舎を退社、最終役職・編集本部エグゼクティブ・プロデューサー。普通自動車運転免許アリ。
「こうやって書きだしてみると、ずいぶんシンプルなヒストリーだね。会社は3回もやめてるんだ・・・」
などと他人事のようにつぶやきながら、封をして投函した。
郵便を受け取った宮﨑教授より、すぐ連絡がきた。
「これではありません!ミルコさんが会社でどんな仕事をしてきたかがわかる書類をお願いします」
「は、はあ・・・」
求められていたものは、「職務経歴書」というものだった。
どんな仕事をしてきたかって、私が自分で書くの? そんなのいやだなあと思った。だいたい出版社を退社して何年も経っているのに自分がした仕事を並べて、私こんなにすごいんですって言うってコト?
その話を、編集者の千ちゃんにした。彼女は会社時代の後輩で、一時期は一緒に仕事をし、その後は私に書くことをすすめ、私を励まし続けてくれた数少ない人だった。
「なに言ってるんですかミルコさん、職務経歴書に書くこと山ほどあるじゃないですか」
「えー、いやだよいまさら。会社時代の自慢話なんて」
「だったら私が書いてあげます」
「えーっ⁈」
千さんは仕事が速く、あっというまに私の職務経歴書は出来上がった。
そこには平成時代に活躍した作家・ミュージシャン・アーティストたち・・・そうそうたる面々の名前と作品名が挙げられており、それを見て、ほんとうに私はいろんな人と本を作ってきたのだなあとあらためて思った。
そのプロフィールは大学に提出され、学生たちにも紹介されたが、若い彼らは私が仕事をしてきた有名人のほとんどを知らなかった。時代が移り変わっていることを痛感した。
<つづく>
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