第57回オスカー・ワイルド

話は私がロシア語学習に励んでいたころへ、さかのぼる。
ある日、アートディレクターの櫻井浩さんから連絡がきた。
「ミルコさんさぁ~、また編集の仕事、頼める? 芝居のパンフなんだけど・・・」

フジテレビ制作の舞台『ドリアン・グレイの肖像』(原作オスカー・ワイルド、主演中山優馬 2015年)だった。櫻井さんはフジテレビの連ドラなどのアートディレクションを長くつとめられている。私も出版社勤務時代には、本の装丁や雑誌のデザインなどを櫻井さんにお願いしており、その流れで私の退社以降も、パンフレット制作など多くの仕事を櫻井さんとご一緒させてもらっていた。

お声がかかるたびに私は、<にわか編集部>をつくる。私はインタビュアー・ライター、校正者などに声をかけ、櫻井さんはカメラマンやスタイリスト、ヘアメイクを招集する。私たちはその出版物が世に出るまでの、期間限定の編集部になる。出演者のインタビューを取り、文章を構成し、グラビアを撮り、ページを作る。

フジテレビさんの舞台の仕事は『二都物語』(原作チャールズ・ディケンズ、主演 草なぎ剛 2013年)につづいて二度目だった。
櫻井さん、彼のアシスタントだった三瓶ちゃん、そして私、の三人は台割(出版物のページ割り案を図表にしたもの)を持って、お台場のフジテレビに向かった。
プロデューサーの保原賢一郎さんと、パンフレットの中身をおおよそ決めたところで、
「オスカー・ワイルドってイギリスでは有名だけど、日本ではそうでもないよね」
今回は原作についての解説も入れようか、という話になった。
「やっぱり専門家・・・文芸評論家とか英文学の教授とか?がいいのかも」
「じゃあミルコさんが人選して、寄稿をお願いしてください」
私はその場に広げてあった資料を、何冊か持ち帰った。

オスカー・ワイルド ミルコ画

それからほどなくして、小田急線沿線の和光大学を私は訪ねた。

『オスカー・ワイルド 犯罪者にして芸術家』(中公新書)――いくつかのワイルド本の中から、私はそれを選び取った。この人ならきっと面白い解説をパンフに書いてくれる、そう確信した私は著者の宮﨑かすみ教授に手紙を書いて、大学の研究室宛てに出していた。まもなく返信があり、「一度、お会いしましょう」と、私が彼女の研究室を訪ねることになったというわけだった。

「ヤマグチミルコさんですね? お待ちしておりました~!」
ショートヘアにくっきりとした大きな瞳にメガネの華やかな女性が、私を待ち受けていた。

『オスカー・ワイルド~』はキリッとした文体の評伝である。一章ごとが見事なステージのようにまとまっている。自分語りを好み、逆説的警句で知られるアマノジャクな劇作家・ワイルド、その人生にぐいぐい惹きつけられるこの本を、私はいたく気に入った。彼女の大振りのアクションもハキハキした声も私には魅力的に思え、好感をもった。なにしろ、芝居の主人公のように生き、「自分の人生こそ作品である」と豪語していたというワイルドである、彼を介した出会いにぴったりではないか!

ワイルド作品というと、日本では『サロメ』や『幸福の王子』などの書名で知られているだろうか。ワイルドはゲイだった。同性愛を厳しく取り締まっていた19世紀末のイギリスで、同性愛裁判に敗北し、投獄され、保守的な社会から追放され、と不幸な晩年を送る。

「私の生が終わったとき、私の作品は生きはじめるのです。私は幸いにも、監獄で魂を見つけました。魂を知らずに書いたものも、魂の導きによって書いたものも、いつか世の人びとの目に触れるでしょう。そのとき、私の魂から人類のすべての魂へ向けて発したメッセージに人々は気づくのです」(ワイルド晩年の言葉。引用は『オスカー・ワイルド 犯罪者にして芸術家』第七章「墓場からの帰還」より)

本人の言葉通り、死後に生前以上の人気が出て、再評価された。いまも米英での人気は高く、繰り返し舞台化、映画化もされている。

宮﨑かすみさんはパンフレットへの寄稿を快諾してくださり、打ち合わせはすぐに終われたはずなのに、私たちはそれから何時間も話し込んだ。研究室からレストランに場所を変えて夕食をともにする。初対面とは思えない盛り上がりだが、生きているとこういうことがたまに起こる。

宮﨑さんは英文学と文学批評について熱く語った。

その話をききながら、自分は長く編集者をやってきたけれど、文芸や出版というものをどれほど理解していただろう? たいして勉強もせず、出版社にもぐりこんで、運や縁に恵まれながらモーレツに働いたことでなんとかカッコがついていたものの、私はホンモノの編集者だったろうか・・・そんなことを考える。

帰り道、小田急線の駅に向かう途中の山々を眺めながら、もう二度とこの辺りに来ることはないだろうな、と思っていた。

ところがこのあと、天の神様は私を新しい場所へと運ぶのである。

<つづく>

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