クロテンを追って、私の旅は始まった。
第一の旅では<ロシアのアマゾン>と呼ばれるビキン川流域を訪れた。ロシア極東にひろがる、タイガの森である。
その村で、いまもクロテン猟をする猟師に、私は会えた。
本稿の扉に掲げたクロテン写真は、彼からいただいたものだ。
この写真をよく見ると、クロテンの身体に金具のようなものが付いている。
つまりこれは、<罠にかかったクロテン>を撮影したものなのだ。
大量のクロテンが乱獲され、その毛皮がロシア国家の経済をまわしていたということは、前回書いた。
そうした追われる歴史からか、クロテンはひどく警戒心の強い生き物で、人間が網を持って追いかけるくらいではとてもじゃないが捕まらない。
クロテンは、罠で仕留められるのである。
現在も一部の地域で、そうした猟が行われている。
私はロシア極東地域で、現在も手作りの罠でクロテン猟を続けている先住民・ウデヘの人々を取材した。
ウデヘの猟師は毎年、落葉期の10月から、降雪・結氷期の12月初めまでに、森の中のクロテンが通りそうな道――沢や流水をまたぐ倒木の上――に罠を仕掛ける。
ウデヘはビキン川両岸にひろがる広大なタイガを猟場としており、原生林の中を歩くのは一般人には極めて困難であるが、ウデヘは動物たちの移動経路、いわゆる「けもの道」を独自の目で見極めて罠を仕掛け、クロテンを引き寄せる。
罠は、クロテンの体を痛めつけるものであってはならない。
市場に出し、換金するための大事な毛皮である。
さらに、ウデヘは――長年狩猟に携わっている民はどの人々もであると思うが――狩猟対象動物に必要以上の苦痛や警戒感を与えることをきらう。
捕獲するときも、捕獲後の毛皮処理のときも、動物の命に対する崇拝をもっておこなわれる。
私がウデヘの人々を取材した、その経緯や報告について詳しくは、拙著『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』をお読みいただきたいと思うが、われながらずいぶん激しい思い込みと勢いでもってこの旅に邁進したと、本書を振り返って思う。
クロテンは500年にわたり、庶民の暮らしから帝国の繁栄までをも支え、近代においても市場経済の一翼を担ってきた。これほどまでに影響力の大きな小動物が、ほかにいただろうか。
であるというのに、だ。
どうしたことか、いま私の心を占めているのは、現在クロテンがどこにも見られないということなのである。
世界中を駆けめぐった、クロテンの毛皮。それなのに、いまそれを着ている人を見かけない。私が書いてきた間にも、ソチのオリンピックがあり、ウクライナ問題とロシアのクリミア併合があり、ロシアのニュースをテレビで見ない日はなかったというのに、冬の彼らの服装はもっぱら化学繊維だ。
そして誰も、クロテンを話題にしない。
こんなに人間と関わりの深い動物なのに、クロテンは森から消え、市場から消え、クローゼットからも消えた。
クロテンは、もともと毛皮になるために生きているわけではない。
クロテンとして生きるために生きている。
けど毛皮になるために殺されたクロテンがいる。
殺されてしまったクロテンも、せめて大切にされていたい。
毛皮は残っているはずなのに、使われていない。
この大きな地球を半周するほどの大国と民衆の経済を回転させてきた無数のクロテンは、いったいどこへ消えてしまったのだろう?
『ロシア狩猟文化誌』(*注)の調査から20年、私はウデヘのこの村を、たずねてみようと考えた。
市場経済の行方に翻弄されたクロテンの顛末、彼らのその後をたどることで、文明社会で生きる私たちがこのあと動物たちとどのような関係を築いていけばよいのか、そのヒントが見えてくるのではなかろうか。
無数の命を奪い、授かったものを活かしきれず、時代とともに消費していく、世界中で進行している、命の大量消費。私たちはいまのような暮らしを、今後も続けてはいけない。
私がこれほどまでにクロテンに心を寄せるのは、「クロテンに似ている」と言われたことがあっただけでなく、彼らに起こった出来事を、他人事と思えないからだった。
罠にかかったクロテンと、私もおんなじだったのではないかと。
この写真に写ったクロテンは、愛らしいだけでなく、つややかな瞳をしている。
罠にかかったことを知っているのか知らずにいるのか、たとえそれでもがき苦しんだとしても、死んでたまるか。
弱そうに見えて、弱くない。
天然の生き物としての図太さを、クロテンに見習いたい。
「負けるものか。魂打ち込んで、生き抜いてやる」
私のファーロードは、その決意表明でもあるのだ。
<つづく>
*『ロシア狩猟文化誌』・・・ソ連崩壊後、ロシア極東地域の狩猟現場へ調査に入った日本の狩猟専門家や北方民族研究者――佐々木史郎、田口洋美・森本和男、佐藤宏之、各氏らによるフィールドワークをまとめた一冊(慶友社 1998年発行)
*太字部分は『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)より抜粋(参考文献は、書籍の巻末に掲載しています)
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