第114回 偽ドミトリーⅡ世

リューリク朝の後継者を自称し帝位についた偽ドミトリーは、さっそく周囲を落胆させた。

彼を担ぎ上げた貴族たちは、はなから偽ドミトリーに忠誠を誓うつもりはなかっただろうが、偽ドミトリーの身勝手な言動にげんなりしたという。

そのうえ偽ドミトリーの背後にはポーランド勢が――偽ドミトリーはポーランド貴族のカトリック教徒の娘と結婚したし、ロシア正教の慣例を無視した。ポーランド人を優遇し、貴族だけでなく民衆の反感も買った。国民が期待していた農奴の自由やコサックのための政府が実現されることもなかった。

ほどなくしてモスクワで貴族らの煽動によって民衆の反乱が起こり、1606年5月、偽ドミトリーは宮中で殺された。即位から一年も経っていなかった。

 

次に、貴族たちに担ぎ出されたのが、名門貴族出身のワシーリー・シュイスキーという人物。偽ドミトリーの死からおよそ二週間で、シュイスキーの戴冠式がおこなわれた。彼は貴族の特権をまもることを誓約して貴族に喜ばれる一方、下層の人びとにはすこぶる評判がわるく、農村は荒れた。

その混乱に乗じて、なんと再び「偽ドミトリー」が出現。名はモルチャノフといい、<モスクワで殺されたはずのドミトリーは、じつは生きていて・・・>というのが本人の言い分だったが、こちらは「偽ドミトリーⅡ世」と呼ばれた。先に亡くなった偽ドミトリー(偽ドミトリーI世)のもとで仕事をしていたユダヤ人の役人だという説がある。

この偽ドミトリーⅡ世を担ぐ人物として、元農奴のイワン・ポロトニコフという人が登場。南ロシアで反政府軍を組織していたコサック出身者で、「貧乏人を金持ちから解放する」を掲げ、モスクワを攻める。ポーランドの支援も受けた。シュイスキーが帝位についたことを気に入らない貴族たちの支持も得て、このポロトニコフのもとに大勢の人びとが集まった。

偽ドミトリーⅡ世を担いだ軍は、ツシノという村を拠点に、モスクワと対峙した。

両軍の勝敗の決着はなかなかつかず、モスクワのシュイスキーがスウェーデン王に援軍を依頼すると、スウェーデン軍が5000の兵で村へやってきた。迎え撃つ偽ドミトリーⅡ世派のポロトニコフたちは、ポーランド王・ジグムントⅢ世(ポーランド国王在位1587年8月~1632年4月、1596年にクラクフからワルシャワへ遷都した王)に援助を求める。

そもそもモスクワを支配してやろうと目論んでいたジグムントⅢ世は、自ら軍を率いてロシア攻略をすすめ、偽ドミトリーⅡ世に従っていたポーランド勢にも自分の軍に合流するよう命じた。争いの真ん中にいたはずの偽ドミトリーⅡ世はハシゴを外されて蚊帳の外の人となり、ポーランドとスウェーデンを巻き込んだ動乱はますます悪化して、シュイスキーの軍も敗れた。

名門貴族の出であったシュイスキーは、僧院に送られた。

ここで再び、ロシアは軍を失った。

国がなくなったも同然だった。

 

<つづく>

参考文献
『ロシア史』岩間徹編 山川出版社
『シベリア』森本良男著 築地書館
『コサックのロシア<戦う民族主義の先兵>』植田樹著 中央公論新社
『シベリアの歴史』加藤九祚 精選復刻紀伊国屋新書

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