第80回ダッタン人の踊り(2)クラリネットとの出会い

わが中学(我孫子市立久寺家中学校)にブラスバンド部が発足するとのうわさをきいたのは、合唱部に入ってしばらく経ったある日のことだった。

新しく赴任してきた横山乙和おとかず先生がメンバーを集めるという。横山先生――乙和(おとかず)という名前から一字を取って、Z=ゼットと呼ばれるZ先生は、二十代とまだ若く、理科を教える教諭ということで、理科室のとなりの理科準備室という小さな部屋を、ブラスバンド部<旗揚げ>準備室とするらしかった。

「マーチの祭典」以降、いつか管楽器をやりたいとつよく願っていた私に、チャンス到来。私もさっそく理科準備室へ向かってみた。

 

私がそこに顔を出すと、すでに数人のメンバーが、楽器を持って集まっていた。

学校側が用意したいくつかの金管楽器が置いてあった。「吹奏楽部」ではなく「ブラスバンド部」となっていたのは、ひとまずブラス(金管)中心の小編成でバンドをつくろうとしていたのだろう。しかし、他校で吹奏楽をやっていた転校生なのか、自前らしき木管楽器を持っている人もいた。それがクラリネットだと、すぐにわかった。

 

私はクラリネットを知っていた。

小学生の時分からベニー・グッドマンというクラリネット奏者のレコードをよく聴いていたからである。母がアメリカ映画好きで、ビッグバンドジャズと呼ばれるジャンルのレコードが、うちに何枚かあった。なかでも「シングシングシング」という、後半に長いクラリネットソロのあるカッコいい曲(ベニ―・グッドマン楽団)や、美しいハーモニーのムーライトセレナーデ(グレン・ミラー楽団)などが気に入っていた。

この手の音楽には、なんだかグッとくる<ツボ>がある。

これはいったいなんだろう?

その一つがブルーノートとよばれる音にあることを、このときの私はまだ知らない。

金管楽器なら学校のものを借りることができたが、木管楽器の用意はなく、クラリネットやフルートをやりたいなら、自分で楽器を買うしかなかった。

私は両親に頼み込んで、クラリネットを買ってもらった。

ヤマハ製で、いちばん値段の安いものはプラスチックでできているが、私は木製の、しかし初心者なので安価なクラスのものにした。

黒い縦笛であるクラリネットは、5つの部分から出来ている。

真っ黒のケースを開けると、5つの黒い塊(分解された状態の楽器)が出てくる。その5つをつなぎ合わせて、縦笛の状態にする。

本体の素材はグラナディラという木でできた黒炭のようなもので、キーとよばれる楽器のボタンの部分は銀色の金属で作られていた。ところどころに穴があいていて、その穴とキーを指で抑えたり、指を離したりずらしたりすることで音程が変わる。

見れば見るほど、クラリネットは地味な楽器だった。

「マーチの祭典」でみたキラキラのまぶしさに、この楽器はほとんど貢献していない。

そして吹奏楽という音楽形態のなかで果たされる役割もけっこう地味だということを、私はのちに知るのであるが。

 

クラリネットで、ブラスバンド部に入部することが決まった。

合唱部をやめるときは顧問の先生を落胆させてしまったが、もう吹奏楽へ向けまっしぐらに走り出した私を誰も止めることができない。

クラリネットには、二人の先輩がいた。一学年上のフシミ先輩(女子)とバンナイ先輩(男子)で、二人とも自前の楽器を持ち、すでに別の学校で吹奏楽の経験があり、上手に楽器を扱うことができた。

フシミ先輩はメガネをかけていて、痩せている。制服のスカートのウエストがゆるそうで、それを時折引っ張り上げながら、ウサギのような大きな前歯でニカっと笑うと、私の入部を歓迎してくれた。彼女がいちばん最初から、私にクラリネットを教えてくれる人になった。

 

こうして振り返ってみれば、フシミ先輩は私の大恩人である。彼女が楽器の組み立て方から、クラリネットの一から十まで、ぜんぶ丁寧に教えてくれた。

あのときフシミ先輩は14歳くらいなのである。当時はずいぶん大人に見えた。私にクラリネットを最初に教えたのが彼女でなかったら、いまの私はあっただろうか? というのも、フシミ先輩はたいへんこまかく、うるさく、厳しい人だったのだ。

 

クラリネットは、口に咥える歌口(マウスピース)のほかに4つの部位から出来ており、歌口の次にタル、その次に上管、そして下管、いちばん先の、下方に拡がっている部分はベル。それらを繋ぐときの楽器の持ち方にも、フシミ先輩は厳しかった。壊れ物を扱うようにふわりと、キーをつつみ込むようにやさしく楽器をつかむ。ゴルフクラブを握るとき、「小鳥を持つように」と言われるが、そんな感じだろうか。

そして接続部分のコルクの箇所に、コルクグリス(油)を塗る。

コルクグリスを塗りすぎると、油がはみ出して、楽器を汚してしまうので、神経を集中させなければならない。

そして繋ぎ方の順番も、決まっていた。

タルと上管をまず繋ぎ、下管とベルを繋ぎ、その二つをドッキングさせたのち、いちばん最後に歌口(マウスピース)を付ける。そうしてようやく、一本の笛であるクラリネットが出来上がる。そのとおりにやらないとフシミ先輩に叱られる。ぜったいにまちがえてはならなかった。

 

 

出来上がったところで、歌口を咥えて息を吹き込んでも音は出ない。

歌口の部分に、リードと呼ばれる葦でできた薄い板を、金属の留め金(リガチャー)で取り付ける。

リードは10枚ワンパックで、当時は隣町の柏駅そごう・スカイプラザのヤマハにしか売っていなかったので、そこまで買いに行った。

板の厚さは何種類かあるので、選ぶ。薄いほうが、音が出やすい。けれど、厚いものに慣れていかないと、安定した良い音は出せないのだという。

初心者の私は薄いリードを用意して、フシミ先輩のレッスンにのぞんだ。

<つづく>

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